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東方正教会 ― 知られざるキリスト教文化圏
Ⅵ 正教会と歴史を訪ねる旅 ― 2. ジョージア③

ジョージアの首都トビリシは5世紀に都となった街であり、それ以前のイベリア王国(当時)の首都はムツヘタでした。ムツヘタは紀元前4世紀からある歴史ある街で、現在は街全体がユネスコの世界遺産に登録されています。ムツヘタはトビリシに隣接しているので、トビリシから日帰りで観光することができます。

ムツヘタに行くなら、まずは街外れの山の上に建つジュヴァリ聖堂(写真1)を訪ねてみましょう。ジュヴァリとはジョージア語で十字架の意味です。この名は、ジョージアに初めてキリスト教を伝えたニノ(1月号参照)が、この場所に建っていた異教の神殿に十字架を立てたことに由来します。現在の聖堂は6世紀末に建てられた歴史あるもので、中に入るとニノが十字架を立てた場所に今も巨大な十字架が立てられています。


写真1:ジュヴァリ聖堂

また、聖堂の外からはムツヘタの美しい街並みを一望に見渡せます。(写真2)


写真2:ムツヘタの眺め

ムツヘタ市内では、スヴェティツホヴェリ大聖堂(写真3)に行ってみましょう。これは4世紀にジョージアで初めて建てられた教会です。創建から17世紀までジョージアの総主教座が置かれた由緒ある場所であり、歴代の国王の戴冠式もここで行われました。現在の荘厳な聖堂は11世紀初めの建立で、トビリシのツミンダ・サメバ大聖堂(2月号参照)ができるまでジョージアで最大の聖堂でした。


写真3:スヴェティツホヴェリ大聖堂

スヴェティツホヴェリとはジョージア語で「いのちの柱」という意味です。その名は次のような伝説にちなむものです。

キリストが磔になった時、ムツヘタ出身のエリアスという男がエルサレムに居合わせ、キリストの衣の一部をムツヘタに持ち帰りました。それを妹のシドニアに渡すと、彼女は喜びのあまり、それを握りしめたまま死んでしまいました。遺体は衣を握って離さなかったので、彼女を衣と一緒に葬ると、そこに杉の木が生えてきました。それから300年経ち、この場所に教会が建てられることになって、柱にするために杉の木が切り倒されると、その木は空中に浮かんで下りて来ないという不思議な出来事が起きました。ニノが一晩中祈り続けると、木は地上に下りて来て樹液が流れ出しました。そして、その樹液をつけるとどんな病も治るという奇跡が起きました。このため人々は、この木を人に命を与えるという意味で「スヴェティツホヴェリ」と呼び、さらにその木を柱として建てられた聖堂の名になったのです。

スヴェティツホヴェリ大聖堂の隣にあるサムタヴロ教会は、ニノが住んでいた庵の隣に4世紀に創建された教会です。聖堂の中には、ジョージアで初めてキリスト教を受け入れた国王ミリアン三世(1月号参照)とナナ王妃の墓があります。また、ニノの庵の跡には小さなチャペル(写真4)が建てられています。観光客の多くはスヴェティツホヴェリ大聖堂だけ見て、こちらを素通りしてしまうようですが、ぜひ訪ねてみたい場所の一つです。


写真4:ニノの庵の跡のチャペル

ムツヘタは歴史の街だけあって、市内には我が国の京都や奈良のように土産物屋や食べ物の屋台などが並んでいます。それらの店屋をひやかしながら、美しい街並みや教会を歩いて見学すると有意義な半日を過ごすことができるでしょう。

写真:
  • 写真1:「ジュヴァリ聖堂」、筆者撮影
  • 写真2:「ムツヘタの眺め」、筆者撮影
  • 写真3:「スヴェティツホヴェリ大聖堂」、筆者撮影
  • 写真4:「ニノの庵の跡のチャペル」、筆者撮影

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