World Map Myanmar に関連する記事の一覧

Relationship ― ミャンマーと日本の『時間軸』を辿る ~ミャンマーの国造り・・・「8888運動」から30年経過して

8888運動とNLD設立 今年、それまでの社会主義・強権体制からの脱却と自由民主化への要望から端を発した大規模デモである「8888運動」から30年を迎え、更に来月には現政権与党である国民民主連盟(NLD)の設立からも30年の区切りを[…]

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Relationship ― ミャンマーと日本の『時間軸』を辿る ~ミャンマーとの友好関係の構築・・・ビルマ・ミャンマー軍事政権期その5

日緬関係の低迷期、ミャンマー政府再編 前回軍事クーデターによってソウ・マウン議長を頂点とする「国家法秩序回復評議会」(通称SLORC)による国家運営が開始され、「ミャンマー連邦」への国名変更、首都「ヤンゴン」への名称変更を行っ[…]

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Relationship ― ミャンマーと日本の『時間軸』を辿る ~ミャンマーとの友好関係の構築・・・ビルマ・ミャンマー軍事政権期その4

不思議なクーデター 1988年9月18日、当時国防大臣でもあったソウ・マウン大将によるクーデターが決行され、瀕死のビルマ式社会主義政権を終わらせるとともに、彼を「議長」とする「国家法秩序回復評議会」(通称SLORC)を結成、こ[…]

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Relationship ― ミャンマーと日本の『時間軸』を辿る ~ミャンマーとの友好関係の構築・・・ビルマ・ミャンマー軍事政権期その3

国内混乱の様相 長期に亘ったネ・ウィン時代が政治・経済の混乱とビルマ国民の行動によって終わりを迎え、ビルマは再び混乱の渦に巻き込まれていきます。 前回はその様子について表層の部分だけ触れましたが、国内混乱を最終的に鎮めたソウ・マウ[…]

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Relationship ― ミャンマーと日本の『時間軸』を辿る ~ミャンマーとの友好関係の構築・・・ビルマ・ミャンマー軍事政権期その2

日本側のネ・ウィン評 前回は、軍事クーデターによりネ・ウィン将軍が政権を掌握したものの、「ビルマ式社会主義」という特異な国家運営方針を取り続けたためビルマ国内が次第に混乱してゆく状態をお話ししました。 ネ・ウィン政権はいつからいつ[…]

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Relationship ― ミャンマーと日本の『時間軸』を辿る ~ミャンマーとの友好関係の構築・・・ビルマ・ミャンマー軍事政権期その1

支援を受けていたのに国家運営は失敗の連続? 本コラムでは、日本とミャンマーの友好関係構築の過程についてお話ししています。 これまで大東亜戦争、敗戦からビルマ独立、戦後賠償と国交回復、ビルマ国家経済の安定化に寄与す日本の経済支援[…]

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Relationship ― ミャンマーと日本の『時間軸』を辿る ~ミャンマーとの友好関係の構築・・・ビルマ戦後復興編その4

経済協力協定と工業化4プロジェクト 以前にも本コラムで書きましたが、1955年4月に日本とビルマとの間で「賠償および経済協力協定」が締結され、1965年までに約720億円相当の資機材や役務を日本が提供することとなりました。 この[…]

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Relationship ― ミャンマーと日本の『時間軸』を辿る ~ミャンマー連邦共和国国家独立70周年を迎えて

歴史的節目と政治的節目 2018年1月4日、ミャンマーは国家独立70周年を迎えました。ミャンマーという国家に対する世界の見方も、近年、「最貧国」から「経済成長を期待する国」として、「軍事政権」から「民主政権」への移行加速が期待される[…]

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Relationship ― ミャンマーと日本の『時間軸』を辿る ~ミャンマーとの友好関係の構築・・・東京におけるミャンマー人の「ホームタウン」

リトルヤンゴン高田馬場 今年も1年ご愛読いただきありがとうございます。 年初に今後のミャンマーについて書いていたことを読み直してみると、「行くも地獄、戻るも地獄の国内問題」とかなり際どいタイトルをつけていたことが、本当[…]

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Relationship ― ミャンマーと日本の『時間軸』を辿る ~ミャンマーとの友好関係の構築・・・終戦期の混乱のなかで

新潟県越後湯沢 新潟県越後湯沢といえば関東圏のスキーヤーが挙って向かう地域ではありますが、この雪深い場所にもミャンマーと日本の歴史を伝える場所があります。 写真1:真言宗薬照寺 湯沢に近い六日町君沢(現在の南魚沼市[…]

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