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東方正教会 ― 知られざるキリスト教文化圏
Ⅵ 正教会と歴史を訪ねる旅 ― 2. ジョージア①

今月号からジョージアの歴史と教会をご紹介します。ジョージアは隣国のアルメニアに次いで、世界で二番目にキリスト教を国教に定めた国です。その意味においてジョージアはキリスト教という宗教のみならず、世界史上において注目すべき国なのですが、我が国では知名度がまだいま一つのようです。

ジョージアはコーカサス山脈の南側、ロシアとトルコに挟まれた地域に位置しています(図1)。


図1:ジョージア

面積は7万km2弱(九州の約2倍)、人口は2014年の統計で372万人(静岡県とほぼ同じ)です。人口の84%を占めるジョージア人は古代からコーカサス地方に住んでいた民族であり、独自の言語と文字を用いています(写真1)。ジョージアは19世紀初めに帝政ロシアに併合され、ロシア革命後もソ連領にとどまりましたが、ソ連崩壊にともない1991年に独立しました。このソ連の独裁者だったスターリンはジョージア人で、革命前の青年時代に正教会の神学生だったことは有名です(写真2)。


写真1:ジョージア語で書かれた本

写真2:スターリン

なお我が国での国名表記は長らく、旧ソ連で用いられていたロシア語読みの「グルジア」としてきましたが、日本政府がジョージア政府の要請を2015年に受け入れて、英語読みの「ジョージア」に変更しました。ちなみにジョージア人は自国をサカルトヴェロ(カルトリ人の国)と呼んでいます。

ジョージアには紀元前6世紀に最初の王朝が成立。紀元前4世紀には後にキリスト教を受け入れたイベリア王国が誕生しました。文明が早くからあった社会という意味でも大変歴史ある地域と言えましょう。このジョージアのキリスト教国化にあたって重要な役割を果たしたのがニノ(日本正教会ではロシア語表記のニーナと呼称)というギリシャ人女性です(写真3)。


写真3:ジョージアイコン『聖ニノ』

ニノは296年頃、カッパドキア地方(現在のトルコ南東部)に生まれました。ジョージアに来た年代と経緯は諸説ありますが、彼女はジョージアでキリスト教の宣教活動を行いました。時期としてはコンスタンティヌスがローマ皇帝の座に就き、第一全地公会を開いて正教会の概念が確立した頃にあたります。(2016年9月号参照

伝説によれば、当時のイベリア国王ミリアン三世が、狩りの最中に突然失明するという出来事がありました。どんな手当てをしても回復せず、ついにミリアン王が「ニノの神」に祈ったところ、たちまち視力が回復する奇跡が起きたとのことです。

ミリアン王は洗礼を受けてキリスト教徒となり、326年にキリスト教をイベリア王国の国教に定めました。以来ジョージア人は1700年近くにわたり、東方正教会に属する民族として今に至っています。
ニノは338年頃に亡くなりましたが、ジョージア国内のみならず、正教社会で聖人として大変尊敬されています。私がジョージアで現地の人に聞いた話では、ジョージア人女性で一番多い名前はニノだそうです。

それでは、この歴史あるジョージアの宗教遺産について、次月号から紹介していきます。お楽しみに。

資料:
  • 図1:「ジョージア」、Google Mapより転載
  • 写真1:「ジョージア語で書かれた本」、筆者所有
  • 写真2:「スターリン」、1942年の公式肖像写真、wikimedia commonsより転載
  • 写真3:「ジョージアイコン『聖ニノ』」、筆者所有

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