World Map Asia

Relationship ― ミャンマーと日本の『時間軸』を辿る ~懐柔から信頼醸成へ~「鈴木大佐」と「ヒゲの隊長」~」

視点を変えて

これまで3回にわたって昭和時代の日本とミャンマー(当時は英領ビルマ)の邂逅からビルマ戦突入前までの関係構築のエピソードを書いてきました。

ここからいよいよ友好関係が大きく動く・・・というところなのですが、日本側のアウン・サンをはじめとするビルマ独立派との関係構築において、過去そして現在にも通じる考え方といいましょうかノウハウというものがよくわかるエピソードがあります。

南機関の鈴木大佐が行ったこと、そのノウハウは現代日本においても受け継がれていることがあり、そのノウハウは日本のみならず、世界においても多用されているのです。

郷に入っては郷に従え~「懐柔」という戦略

我々も日本以外の文化や風習、民族性というものを完全に理解するということは非常に難しいものです。しかしながら外国との友好関係、殊に外交・軍事といった分門においては、より深化した理解がなければ、恒久的な友好関係を構築することはできません。

先人は「郷に入っては郷に従え」という教訓を教えています。
相手に信頼してもらうには相手の立場や文化を尊重する或いは同調する姿勢が必要だということでしょう。それは戦略的に言えば「懐柔」とも「信頼醸成」ともいえますが、体現したエピソードが当時の南機関にもあります。


写真1:南機関に参加したビルマ青年たち

まず左の写真1を見てください。この写真は先月のコラムにも掲載した南機関員とビルマ青年ですが、前列の左から5人目、ビルマ族の民族衣装を着用した人物が機関長である鈴木大佐です。
本来ならば帝国陸軍の軍服を着用するところ、帝国陸軍とビルマ青年との共同作戦の一致協力を目指して相手方、つまりミャンマー側の民族衣装を着用することによって一心同体である態度を表明したものだといえます。また、このときアウン・サンらを率いる「ビルマ独立義勇軍(BIA)」の先頭に立つ意味合いをも込めて、鈴木大佐はビルマ語名も名乗ります。

それが「ボーモージョー」将軍、日本語訳にすると「雷」将軍という意味になります。
民族衣装を身に纏い、ビルマ名など相手の文化風習を取り入れることが一つの戦略、つまり「懐柔」と捉えることもできます。

また、先月のコラムの中にも訓練中に日本軍兵士とビルマ人兵士が一緒にビルマ料理を食したというエピソードがありました。これも自然発生的出来事とはいえ、同じような見方が出来るかもしれません。後のお話にも繋がりますが、懐柔戦略だけではなく、お互いを尊重するという気持ちの表れでもあるとも語られています。

このような懐柔のケースは何も鈴木大佐だけのものではありません。
前述したように、世界で多用されている方法ではあるので、代表的な二人を紹介したいと思います。彼らの共通点は「相手国(滞在国)において現地の文化風習に溶け込み、いつしかその土地のヒーロー或いはカリスマとなり、結果相手を懐柔する」ということです。


写真2:アラビアのロレンス

一人目は写真2の「アラビアのロレンス」ことトーマス・エドワード・ロレンスです。彼は英国の軍人であり考古学者。オスマン帝国に対するアラブ人の反乱を支援した人物で、映画『アラビアのロレンス』の主人公のモデルとして知られています。

1914年7月に第一次世界大戦が勃発、イギリスは三国協商の盟約のもとに参戦します。イギリスはヨーロッパの火薬庫といわれたバルカン半島の南方に位置する大国オスマン・トルコ帝国の攻略に乗り出します。そのときアラブ地域の知識に富み語学堪能なロレンスをオスマン帝国におけるアラブ人反乱扇動の工作員に抜擢、非公式任務とはいえアラブ人指導者を懐柔し、帝国内におけるアラブ人の反乱、イギリス軍のスエズ運河防衛やパレスチナ進軍の支援に成功します。


写真3:マレーのハリマオ

二人目は写真3の人物。ほとんどの方が写真だけでは頭の中ハテナマークだらけだと思います。では(といってもかなり年齢の上の方になりますが)「快傑ハリマオ」といったらどうでしょうか?

「マレーのハリマオ」の異名を持つ彼の名は、日本名を谷豊(たにゆたか)、ムスリム名モハメッド・アリー・ビン・アブドラー、と言う日本人です。彼はマラヤ連邦(現マレーシア)に渡って現地の貧しい人々と交流する中で彼らを助けようと盗賊団を結成し、活動します。

その状況を知った当時の帝国陸軍がアジア攻略の諜報員としてスカウト、ハリマオ盗賊団と共に大東亜戦争の裏工作の担い手として活動を行っていきました。

彼らのような活動はいわば戦争などによる対象国家扇動や国民懐柔という戦略的意味合いが強いものです。(他にも『男装の麗人』川島芳子マタハリなど、もっと古ければ山田長政もそうでしょう)

すべての行為が許されるものではありませんが、要するに他国の文化風習を熟知しなければ「懐柔」は成功しませんし、理解をしようとする現地に飛び込む人間自身の力量というものも加味されるのではないのでしょうか。

「懐柔」から「信頼醸成」へ

さて、話は現代へと飛びます。かつては相手国に対して自国の有益性を高めるためなど戦略的意図をもって懐柔が行われてきましたが、もちろんその意味は完全に消えてはいませんが、現代では相手の文化を尊重し相互理解を深める「信頼醸成」という形に昇華されています。


写真4:
陸上自衛隊第1次イラク復興業務支援隊長 佐藤正久氏

この写真(写真4)は、イラク戦争後復興支援のためにサマーワに派遣された陸上自衛隊第1次イラク復興業務支援隊長の佐藤正久氏(現参議院議員)と地元サマーワの住民との交流の様子を写しています。

皆さんの中にはよく知っていらっしゃる方も多いと思いますが、佐藤隊長がイラクに派遣されることが決まった際、今までは公務員としての規律上絶対にしてこなかった髭を伸ばすということを始めます。

勿論これにはいろいろな方々からのアドバイスもあったとは思いますが、アラブ社会において髭をたくわえていない男性は軽く見られてしまう風習がある、自衛隊の隊長としての責任と相手の文化風習を尊重する意味を込めて髭を伸ばし現地へ向かったそうです。この行為は後々派遣された隊員にも広まりました。

その後のイラク派遣団の様子は皆さんもご承知かと思いますが、現地の歓迎と感謝に送られ、無事業務を終え帰国することとなります。

「相手を尊重し、自らを受け入れてもらう」こと、「信頼醸成」と簡単に言ってしまいますが、大きなこと(例えば外交や貿易)からではなくても、相手国の「衣・食・住」や文化風習から理解を深めていくことの重要性、鈴木大佐が「ボーモージョ―」になり、谷豊が「ハリマオ」になったことからも、我々日本人は自然と受け入れるスキルを持っているのだということに自信を持っても良いのかもしれません。

※次回はまた歴史物語に戻ります。

資料:

コメントはこちらから

メールアドレスが公開されることはありません。

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)