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Relationship ― ミャンマーと日本の『時間軸』を辿る ~ミャンマーの今~

はじめまして

今月からKeyNotersでコラムを掲載することになりました。内容についてまずは現在研究中の地域である「ミャンマー連邦共和国」のことを書いてみたいと思います。

いきなりですが私、『ミャンマーブーム』というフレーズが嫌いです。そもそも国と国との関係において、ブームということはかなり失礼だという理由からです。

国家間の関係は流行り廃りがあってはならないもので(多少の仲たがいはありますが)、殊に日本人とミャンマー人の邂逅は古くは戦国江戸時代まで遡り、その後大東亜戦争、終戦から現在へと続くものですから、昨日今日仲良くなったというものではないのです。現在ビジネスや、経済的結びつきがメインとなってしまっているミャンマーですが、その建国の歴史、変革の歴史に必ず日本の存在がありました。

これからどこまでお伝えできるかわかりませんが、それぞれの時代のエピソードを読んだ後、日本とミャンマーとの関係が決して「ブーム」という軽い言葉で終わらせてはいけないということを少しでも感じていただければ幸いです。

歴史的流れでゆけば、いちばん古いところから書いていくべきなのですが、今回は日本とミャンマーの現在の関係を分っていただいた後で過去に時間軸を戻して行こうと思います。

シュエダゴン・パゴダ

ミャンマーの今を象徴する3つのキーワード

一つ目は「文民」です。
昨年の11月に総選挙が行われ、数十年ぶりに文民の大統領が就任しました。よく誤解されますが、アウン・サン・スー・チーは大統領ではありませんし、憲法上、現時点で大統領にはなれません。

現在の大統領はティン・チョウと言い、スー・チーの幼なじみでもあり、元々は財務官僚でした。国会議員とはいえ、今年まで一切の行政運営に携わったことがありませんので(それはスー・チーも同じですが)国際社会が混とんとしている現在において上手く舵取りが出来るのか、閣僚のほとんどが文民でもあるので、注目すべき点かもしれません。

二つ目は、「未知数」です。
先ほども書きましたが、スー・チーを含め政府の主だった大臣閣僚は一度も政権運営を行ったことがありません。つまり今後の政権運営は未知数ということになります。

また、昨年の総選挙では、政策論争というよりは国民民主連盟(NLD)が「民主化」というワンイシューのみで議席を確保し政権を奪取したため、具体的な経済政策や外交政策、防衛政策が全く示されていないということがあります。国民の生活水準が向上するのか、はたまた増税によって国民の期待が失望に変わるのかが全く予測できず、これも未知数と言えると思います。

彼らが掲げてきたスローガンである「民主化」によって欧米諸国からの投資が増えるであろうという希望的観測がありますが、これも今後の世界経済状況や国内秩序の急激な変化によっては、海外資本が投入されないという事態にもなりかねません。ですから、国民生活や経済システム・そして政治システムにおいても未知数と言えるでしょう。

余談になりますが、「民主化」をスローガンにして選挙に勝ったスー・チーのNLDですが、「民主化」というのは、2011年3月31日に当時のテイン・セイン大統領が軍の役職を辞して文民となり軍事政権の終焉と民主化への移行を宣言したことによりスタートしています。つまり昨年総選挙が行われていた時にはミャンマー国家はすでに「民主化」していたわけなのです。それでもまだ「民主化」と言わざるを得なかったのかは、別の機会で書きたいと思います。

さて、三つ目のキーワードは、「格差」です。
かつては「アジア一の最貧国」とも言われ、国家全体が疲弊し、国民のモチベーションも最低という時代がありました。

民主化宣言以降、少数民族との争いを一部ですが停止させ、軟禁中であったスー・チーを開放するなど国際協調路線に舵を切り、ASEAN加盟などを推進してきました。結果、ヨーロッパ或いはアジアからの投資や企業誘致に成功するとともに国民所得の向上、経済基盤の確立、インフラ整備、都市開発と邁進し、街中でお坊さんが袈裟の合わせ目にiPhoneを挟んで歩いているほど、個人の生活水準も向上してきています。

しかし、経済や個人の幸福が追求されるようになると「格差」というものは確実に大きな溝となって現れます。都市部と山岳部、農村部での賃金格差、労働力格差、職種による格差などが噴出し、金銭トラブルに発展することも少なくありません。

日本企業が事務所を借りようと部屋を探したりしていますが、二年前と比べても倍以上いやそれ以上に家賃が高騰しているということを頻繁に聞きます。また政権交代以降、ヤンゴンにおける凶悪犯罪(殺人や強盗などの事件)の発生件数が激増、国内秩序の乱れが深刻化しているという事情があります。このような状況があらゆる「格差」を生み、ミャンマー国民に暗い影を落とし始めています。

まとめ

ビジネス本や経済本ではミャンマーをまだまだチャンスはあるという地域で「ラストフロンティア」などと称して紹介しています。しかしあくまでも私見ですが、政権交代以降のミャンマー情勢というのは、非常に難しい選択の連続であり、「ラストフロンティア」というよりはむしろあらゆる分野での「コンバットゾーン」(係争地帯)と例えた方が妥当かもしれません。

係争があるというのは「国家のかたち」がまだまだ確定していないということでもあり、良い方向にも悪い方向にも進むべき道は開かれているということでしょう。そしてその選択はミャンマー国民自身が握ってはいますが、周辺の国家や国際機関が、国民の意思を汲み取り、良い方向へ持ってゆく支援を行わなければなりませんし、日本にはその使命が一番担われていると思います。何故「一番」と考えるのか?それは日本とミャンマーの「時間軸」を過去に遡らなくてはなりません。

次回は日本とミャンマーが結びつきを強くした「昭和」という時代に焦点を当てます。

(続く)

写真:
「シュエダゴン・パゴタ」著者撮影

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