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Our World through Music
~甘い音と巡る世界の響き~Vol.9

西洋でも活躍した日本人音楽家

このコーナーの記事が公開されるのは毎月30日。今回は、もうお正月間近の年の瀬ですね。
間もなく年も明けようという、世の中が年越しの準備や年末進行で大わらわな時にこの音楽の記事をお読みになるのは、いったいどういう方々なのだろうと想像していますが、今回はそのお正月に合わせ、日本の音楽家についてご紹介します。

今までこの連載では、主に欧米の作曲家についてご紹介してきましたが、今回は宮城道雄についてです。大正から昭和初期にかけて世界で活躍した日本人。新たな年、新たな元号の始めに知るに相応しい音楽家です。

クラシックのヴァイオリニストが、なぜ宮城道雄について語れるのか?不思議に思われるかもしれませんが、実は、彼の名高い名曲とヴァイオリンは深い関係があり、私はそれをアメリカ、ボストンで知りました。私個人の実体験も含めてお読みください。

宮城道雄。1894年4月7日、兵庫県三宮生まれの人です。
幼くして失明し、その後、箏曲の流派の一つである生田流中島検校に入門します。
家族で朝鮮に渡り、処女作「水の変態」を作曲。そののち段々と実力をつけ、大検校とまでなり、ソウルから上京、東京で初の作品演奏会を開きます。

この人は、とても挑戦的な人物でした。
例えば、古典楽器の改良。新しい楽器の開発。十七絃と呼ばれる楽器は現在でも使われています。そして、「新日本音楽」運動の始まりともなった、西洋音楽の要素を取り入れた新作の発表。この活動により、のちに世界的にも注目されるようになります。

ここで、代表作として有名な曲をお聴きください。
さくら変奏曲。「さくらさくら」を8つの変奏曲に仕立てています。音域の異なる3つの琴で演奏するそうですが、ご紹介する動画では4人で演奏されています。メインのテーマを変奏するという手法も西洋から学んだようです。

さて、私が宮城道雄について初めて意識したのは子供のとき、父の渡米によりボストンに滞在していた時でした。父は数学教授として佐賀大学に勤めていたのですが、当時の文部省(現文科省)により、ボストン大学に派遣されたのです。

その頃、ボストンには日本人数学者として高名な松坂先生という方がご存命でした。
母の記憶によると、日本人のフィールズ賞受賞者を育てた方、ということです。
ある日この松坂先生のお宅に訪問することになり、そのとき母の提言で、先生の御前で宮城道雄の「春の海」を演奏することにしました。もちろん、ヴァイオリンで、です。

理由はいくつかありました。一つめは、長らくアメリカにお住まいの先生にお聴かせするのは日本の曲が相応しいだろう、ということ。二つめは、ヴァイオリンの教本に「春の海」が掲載されていたこと。三つめは、「春の海」はヴァイオリンで演奏するのもとても良い、という母の好みでした。自分としては正直、あまりピンと来なくて練習しにくかったことを覚えています。

ですが、先生の前で演奏したとき、
とてもご高齢でいらした先生が涙を流され、喜んで下さったのです。
そして、次のようなことをお話し下さいました。
先生も松坂検校というお琴の宗家のご出身でいらして、先生のおじい様のご葬儀の際に宮城道雄本人が、この「春の海」を演奏したんだよ、と。

「春の海」は、フランス人女性ヴァイオリニスト ルネ・シュメーによるヴァイオリンと宮城道雄の琴で演奏されたレコードが世界的に大ヒットしたそうです。

なので、ヴァイオリンでこの曲を演奏することは正しく、とてもいいことだよ、と。

母の好みも運よく(?)歴史的事実と合致していたことが立証され、
先生のお話しにより、私にとっても「春の海」はとても大事な作品となりました。
その後、琴や尺八と幾度も共演しています。
琴と共演するときは、私は尺八のパートを演奏し、尺八とのときは、琴のパートを演奏しています。どちらも弾くことができるので、逆にラッキーな気がします。

皆さんが、「春の海」という題から思い浮かべる海はどのような海でしょうか。
私は長いこと、日本海の厳しい海かと思っていましたが、近頃共演している尺八の豊嶋貞雄さんによると、宮城道雄は兵庫の人だったので、瀬戸内海の穏やかな海をイメージして書かれたのだそうです。

年が明けたら、各地各所でこの曲を耳にされることでしょう。
その前に、宮城道雄本人の琴による「春の海」全曲をぜひお聴きください。

動画:

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