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Relationship ― 日本の『時間軸』を辿る ~ミャンマーとの友好関係の構築・・・殉難者の日

殉難者の日


写真1:殉難者追悼式典に参列する
アウン・サン・スー・チー国家顧問

1947年7月19日、イギリスからの独立の確約を得て、連邦国家建設へ向け奔走していたアウン・サンが、閣僚6人共に暗殺されました。アウン・サンが亡くなったこの7月19日は「殉難者の日」(Marty’s Day)となり、ミャンマーの祝祭日となっています。
先日の現地からの報道によると、この日に合わせて旧首都のヤンゴンで政府幹部が出席する追悼式典が開催され、ウィン・ミン大統領やアウン・サン・スー・チー国家顧問、ミン・アウン・フライン国軍総司令官などが出席しました。

これまでの回でも書いているとおり、アウン・サンは「建国の父」とミャンマー国民から敬愛されていますが、ミャンマー国軍にとっては「建軍の父」であり、一方で政権側にとってみれば「アウン・サン・スー・チーの亡父」というもう一つの象徴が加わります。
追悼式典についても、以前は簡素なものしか行なえませんでしたが、2011年の民主化宣言以降、今のような大規模な式典が徐々に行えるようになってきました。それには、死してなおミャンマー国民の心を掴むカリスマ性というものが見えてきます。

建軍の父、独立の象徴

イギリス植民地当時、ビルマ人側においては、統制された有形力を行使する抵抗組織がまだ未熟であったこともあり、各地の抵抗運動も宗主国側に鎮圧されることが多くありました。


写真2:馬上のアウン・サン

始めは英領インドの抵抗勢力に助けを求めましたが成功せず、今度は中国共産党に支援を求めましたが色良い返事がもらえず途方に暮れていたところ、南方進出へ準備を進めていた日本陸軍と接触することになります。
両者の思惑については以前にも書いたとおり「同床異夢」であってもこれまでとは違い不思議な信頼関係によって結ばれ、ここで初めて「軍事教練」を受けることになります。

海南島での日本軍による過酷な訓練の末にビルマ独立義勇軍(BIA)を創設、将軍となって日本軍のビルマ侵攻に参加してイギリス軍の駆逐に成功し、義勇軍は「ビルマ防衛軍」となり日本軍政下において「ビルマ国民軍」或いは「ビルマ国軍」へと改組していきます。
アウン・サンはこの間にビルマ独立の象徴として存在感が増し、卓越した統率能力によって寄せ集め集団から「戦う軍隊」へと大きく成長させる原動力ともなりました。
このような貢献からミャンマー国軍は「建軍の父」として敬愛の情を示していますが、1980年代以降はその尊敬の念を公に示す事が難しくなっていきます。

スー・チー女史の父、民主化の象徴


写真3:国民民主連盟本部

ミャンマー国軍がアウン・サンへの敬意を示せなくなった理由は、スー・チー女史の登場が大きな理由だと思います。「8888運動」で民主化運動がますます苛烈化していた時期に母親の看病のために帰国。するとすぐに国民民主連盟(NLD)の結党に参加し書記長に就任するやミャンマー全土を回って、「反政府・民主化要求」演説を行っていきます。国民は尊敬する『アウン・サン将軍の娘』として注目し、信奉するようになり、当時の軍事政権が統制できないほどの影響力を持つようになりました。

結果、みなさんがご承知の通り、自宅軟禁という措置になるわけですが、このスー・チー女史の活動と、その当時から政党関係者や支持者が掲げていたアウン・サンの写真が、国民の反政府・民主化機運を助長するということから国軍側もアウン・サンの写真・関連するコメントは勿論のこと、殉難者の日の追悼式典も簡素化或いは行わないという措置に発展してゆくのです。

政・軍・民共通のカリスマとして


写真4:テイン・セイン=アウン・サン・スー・チー会談

2011年3月31日の民主化宣言直後に開催されたテイン・セイン=スー・チー・会談の際、会談場所に今まで閉まっておいたアウン・サンの写真が飾られていたのは、スー・チー女史への配慮と、政権側が民主化勢力や国民とともに共通のカリスマのもとで国づくりを行っていくこと、国民目線で行っていくという宣伝効果があったものと思います。 双方思惑は違えども、これにより、国軍だけではなく民主化勢力も共通してアウン・サンに対する敬愛の情を示せるようになり、現在の追悼式典開催へと進んでいくこととなります。

2020年は再びミャンマーで総選挙が実施されます。2015年総選挙時と比べ、アウンサン・スー・チーへの人気や信頼もやや陰りが見え始め、現政権への信頼も下降傾向にあるとも言われています。
その時にまた「親の七光り」ともいえるアウン・サンの威光を使って再び人気を取り戻すのか、それとも親の威光を借りずに自らの信念で国民を納得させ議席獲得へ向かわせることが出来るのか、死してなお光を放つアウン・サン将軍の存在にも注目してほしいと思います。

(続く)

資料:

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