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Relationship ― ミャンマーと日本の『時間軸』を辿る ~ミャンマーとの友好 関係の構築・・・2015年総選挙、NLD政権樹立

私が大統領の上に立つ

ほぼ一年ばかりコラムが止まっておりました。
顧みれば、ミャンマー国民が異常なほどの熱量で迎えることとなった2015年のミャンマー総選挙から、今年はちょうど任期満了の年となりました。


写真1:2015年総選挙結果を観るNLD支持者

2015年総選挙投開票直前、NLD勝利目前という報道を受けてアウン・サン・スー・チーはこう明言しました。
 「私は大統領の上に立つ」
スー・チーのこれほどまで「権力」に拘った発言はそれまでほとんどなかったかと思います。2020年総選挙直前、今回はこの言葉に込められた意味や2015年総選挙の状況などを振り返ってみようと思います。

テイン・セイン大統領の民主化宣言以降、外交や経済などでの段階的制裁解除により、すべてとは言わないまでも国民の中に自由と豊かさの兆しが見え始め、民主化最後の仕上げとなったのが2015年11月に行われたミャンマー総選挙でした。
既に議会議員となって政治の表舞台に戻っていたスー・チーは、自らの政党NLD(国民民主連盟)を率いて参加、対するテイン・セイン大統領は与党USDP(連邦団結発展党)を率いて政権継続を目指しました。

国民の熱狂と圧倒的多数

当時の総選挙の様子を思い返してみると、個人的な見解としては、とにかく「異常」だったと感じます。皆さんも、選挙と言えば当然「選挙公約」や「政策」を戦わせるものであるとお考えになるかと思います。しかしながらこの総選挙においては、そのような選挙公約・政策は「人気」に凌駕され、忘れ去られてしまったと言えるでしょう。

既にこのコラムでも書いているとおり、建国の父アウン・サン将軍の娘、軍政における悲劇のヒロイン、良心の囚人など彼女を形容する言葉にきりがありませんが、政治手腕はともかくミャンマー国民の「人気」だけは絶大でした。
これはNLDのマニフェストにも表れており、USDPがこれまでの政権運営や経済・外交実績などを挙げているのに対して、民主主義やスー・チーの人柄といったことに重点を置き、政策は抽象的な言葉が並ぶばかりで、一般的なマニフェストと比較すれば「赤点」の公約でした。

当時、知人のミャンマー人(NLD支持者)に、「スー・チーのいるNLDは何を実行すると約束しているのか」と聞いたところ、「そんなことはわからない、とにかくスー・チーは私たちのお母さんだから当選させなければならない」と言い放ちました。
日本の選挙も政策論争というよりは「地盤・看板・カバン」がモノを言うところはまだ残っていますが、国の方向性よりも、とにかく「今を変える」エネルギーで異常加熱した状況であったことは、知人の話からも伝わってくる感覚でした。

そして投票の結果、やはりNLDの圧勝となります。
NLDは総選挙で争われた連邦議会491議席のうち390議席を獲得、一方でテイン・セイン大統領の与党であるUSDPは41議席を獲得するにとどまりました。2010年総選挙の際は388議席を獲得していた与党にとっては大惨敗という結果となり、ちょうどNLDとUSDPが入れ替わったような図式となったのです。

NLDは1990年総選挙において勝利したにも関わらず当時の軍事政権に政権移譲を拒否され、その後の激しい弾圧を受けてきました。勿論、アウン・サン・スー・チーの人気が勝因だったと思いますが、選挙スローガンでもあった「変化の時は来た」には、1988年からの民主化運動を結実するときが遂にやってきた、民主化の集大成だ、という思いも込められていたのではないでしょうか。

一方USDPは、テイン・セイン政権下での改革実績を強調して選挙戦に挑み、改革を始めたのも、経済成長をもたらしたのも我々であるという自負で戦いました。 
しかし、ミャンマー国民は具体的実績よりもNLDが設定したアジェンダ、つまり政権交代と民主化の方を支持したのです。そして、USDPを軍事独裁政権の延長線上にある国軍政党とみなし、これまでの「実績」ではなく、約半世紀にわたる歴史の「汚点」を重視しました。そのことからも、2015年総選挙でのミャンマー国民の選択は感情的であり、それゆえに明確でもあったと言えるのです。

大統領の上に立つ意味と現実問題

アウン・サン・スー・チーは社会活動家としてはプロであったと思いますが、政治家としてはついこのあいだ連邦議会議員になったばかりで、プロと呼べる実績はありませんでした。しかし、ミャンマー国民の期待や国際社会からの好奇の視線にも晒されることによって、実力以上の役割を担うことになっていったのではないでしょうか。

前述した「大統領の上に立つ」と発言したのは、投票日を3日後に控えた11月5日。勝利を確信したスー・チー氏は、最大都市ヤンゴンの自宅庭で内外メディアを前に、大統領にはNLDの方針に沿って取り組む人物を充てる旨を語っています。スー・チー氏はNLDという個人企業のワンマン社長にも例えられていて、NLDの方針とは、すなわちスー・チー氏の方針だということになります。
またこのときに「トップが全ての重要な政策を決めるのは当然だ」とも述べており、それでは大統領はいわば傀儡となり違憲ではないかとメディアに問われると、憲法にそうした地位を禁じる規定がないので何の問題もないと一蹴していました。

この一連のやり取りは社会活動家としてのインパクトはありますが、政治家としては配慮に欠けた発言として捉えられますし(実際、国外メディアは民主化の意味を忘れた横暴だと批判もありました)、何よりミャンマーの国家システムやそれを支えるミャンマー国軍への大胆な挑戦とも受け取れるものだったと思います。


写真2:全国行脚中のアウン・サン・スー・チー国家顧問

しかしてその悪い予感は的中することとなります。今日における経済発展は、あくまでもテイン・セイン政権の地均しの成果を引き継いでいるだけ。少数民族武装勢力との停戦も一向に進まず、陰に隠れていた所謂「ロヒンギャ」問題も国内外に広く露呈することとなり、外面は良いが国政での目覚ましい成果は何一つ結実していない状況にあります。

2020年総選挙の行方

圧倒的勝利で終わった政権交代選挙から4年、再び総選挙の年となった今年ですが、どんなに成果が無くても、NLDの勝利はほぼ確定だと思います。しかしここで見落としてはいけないことは、次の選挙でNLDは前回の議席数を守ることが出来るのか否か、批判票の受け皿となる野党USDPや少数民族政党がどれだけ議席を回復してくるのか、という点です。

民主化を切望したミャンマー国民がこの4年間でどれだけ冷静になれたのか。未だスー・チー人気は衰えることを知りませんが、新型肺炎ウイルスの感染爆発への対応、それに伴う国民生活や経済停滞、再び国外から厳しい批判に晒されることとなった「ロヒンギャ」問題への対応など、政権与党が果たすべき責任と成果について、ミャンマー国民がこれをどれだけ公正に評価しているのかということにも着目していきたいと思います。
現行憲法改正、大統領への道をまだ諦めてはいないであろうアウン・サン・スー・チーも今年で75歳。一個人としても政治家としてもタイムリミットは刻々と迫ってきています。

(以上)

資料:

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