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東方正教会 ― 知られざるキリスト教文化圏
Ⅵ 正教会と歴史を訪ねる旅 ― 2. ジョージア④

今回はジョージアの西部の都市クタイシをご紹介しましょう。
かつてジョージアには、トビリシを首都とする東部のイベリア王国と西部のアブハジア王国の二つの国家が存在していましたが、10世紀にイベリアのグルゲン王子とアブハジアのグランドゥフト王女が結婚し、二人の息子のバグラト三世を王とする統一国家のバグラト朝グルジア王国が975年に誕生。首都はクタイシに置かれ、1122年にダヴィド四世がトビリシに首都を戻すまで続きました。クタイシは現在もジョージアで首都トビリシに次いで人口は国内で二番目であり、2012年に国会議事堂が移転してきた重要都市です。なお、バグラト三世から始まるバグラティオニ家はジョージア王家として現在も存続しています。

クタイシでぜひ見ていただきたい場所の一つは、バグラト三世が1008年に建立したバグラティ大聖堂です(写真1)。今から1000年も前に、よくこれだけの巨大な建造物を建てたと感心しますが、現在の聖堂は建立当時のものではなく、復元されたものです。


写真1:バグラティ大聖堂

バグラティ大聖堂は1691年、侵攻して来たオスマントルコ軍の砲撃で破壊され、廃墟になってしまいました。1994年、ユネスコの世界遺産に指定されたことを機に聖堂の復元が始まり、2012年9月に完成して昔の姿を取り戻しました。しかし皮肉なことに、復元で世界遺産に指定された時の状態が損なわれたという理由で、2017年に世界遺産の指定を抹消されてしまいました。

私個人としては、教会の価値は廃墟の状態ではなく、むしろ祈りを捧げるために人が集まる器の状態にあるのであり、また昔と全く違う現代建築を建てたというならまだしも、元の聖堂を復元したのですから、それは意味のあることだったと考えるのですが、文化財保護の考えはそれとは違うようです。
しかし聖堂自体は大変荘厳なものであり、歴史の重みが伝わってきます。私は2016年8月にこの大聖堂の礼拝に司祭として参加しましたが、良い思い出となりました。

クタイシのもう一つの見どころは、世界遺産のゲラティ修道院です(写真2)。ゲラティ修道院は1106年、上記の国王ダヴィド四世が建立しました。


写真2:ゲラティ修道院・聖堂(右)とアカデミー(左)

壮大な聖堂内は12世紀から17世紀にかけて描かれたフレスコ画のイコンで埋め尽くされています(写真3)。また教育熱心だったダヴィド四世は、聖堂の隣にアカデミー(王立学校)を建て、外国の修道院などで活躍していた科学者や神学者、哲学者を教師として集めました。このアカデミーは以後、ジョージアを代表する学問と文化の中心となり、17世紀のトルコ支配下で閉鎖されるまで存続しました。


写真3:ゲラティ修道院・聖堂内部

ダヴィド四世は多くの教会や施設を建立したことから建設王とも呼ばれていますが、それだけ偉大な業績を残したにも関わらず謙虚な人物でした。彼は自分の死にあたり、「立派な墓を建てることを望まない。むしろ罪深い自分をいつも人に踏まれる場所に埋めて欲しい」と遺言しました。そのため彼の墓はゲラティ修道院の門の中央に造られ、墓石は以来数百年にわたって人々に踏まれてすり減っています(写真4)。


写真4:ダヴィド四世の墓

クタイシはトビリシからは距離があるので日帰りは困難ですが、一泊してゆっくり見て回る価値は十分にある魅力的な歴史の街です。

写真:
  • 写真1:「バグラティ大聖堂」、筆者撮影
  • 写真2:「ゲラティ修道院・聖堂(右)とアカデミー(左)」、筆者撮影
  • 写真3:「ゲラティ修道院・聖堂内部」、筆者撮影
  • 写真4:「ダヴィド四世の墓」、筆者撮影

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