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Our World through Music~
甘い音と巡る世界の響き~Vol.12

兄のような師のような、ハイドン

前回前々回とベートーヴェン、モーツァルトというクラシック古典派の巨人2人が続きましたので、今回は彼らの師でもあったヨゼフ・ハイドンについてご紹介しましょう。ベートーヴェンが固めたソナタ形式の祖を作った人と言われています。

18世紀から19世紀初頭まで生きた彼は、この時代には珍しく長命な人でした。残した作品の素晴らしさと後世への影響は長生きしたからこそ、とも言えます。
そして、現代の我々にも大いに意味がある事実があります。それは、現ドイツ国歌の作曲者である、ということ。

ヨゼフ・ハイドン。オーストリア、ウィーンの作曲家。1732年生まれ、1809年没。
彼の生まれた時代では、音楽家は社会的に地位が低い職業でした。前回ご紹介したモーツァルト(1756年生まれ)でさえ、宮廷勤めでないと収入が保証されなかったのですから、更にハイドンの頃は推して知るべし、というところでしょう。ハイドンはエステルハージという侯爵の楽長を勤めていますが、楽長といった言葉の印象とは逆に、実際のところは使用人の1人。なんと、エステルハージ家への出入りは使用人用の出入り口からだったそうです。
私などは逆に、エステルハージ家の名を「大音楽家ハイドンの勤め先」として認識しているので、残した功績と当時の彼らの地位にはずいぶんと乖離があるものだな、と思います。

ハイドンは天才モーツァルトとも交流し、互いに大きな影響を受けています。ベートーヴェンにもいくらかの指導を行ったそうです。ちなみに、ベートーヴェンは音楽の都ウィーンを目指してボンを発つときに「ハイドンの手によってモーツァルトの魂を受け取り給え。」と、支援者の貴族に言われています。天才とは、その歴史に残される言葉も素晴らしいものです。

では、早速ハイドンの名曲をお聴き頂きましょう。晩年の大作、オラトリオ「天地創造」。

旧約聖書にある「創世記」第1日目から第6日目、そしてアダムとイブの姿が書かれています。

そして、ドイツ国歌。
元々オーストリア、フランツ皇帝を讃えたオーストリア国歌でしたが、現在ではドイツ国歌として歌い継がれています。

しかし、なんといっても有名なのはこちら、「驚愕」シンフォニーでしょう。一番の有名どころは、この動画の8分48秒から。

こちらは、演奏会で居眠りする客を起こさないように、そっと静かに演奏を始めるが、あるところで急に大きな音でびっくりさせる!という目的で書かれた、と言われています。

さて先述したとおり、同時代の作曲家にも指導者として大きな影響を与えたハイドンですが、実は彼の死後もその作品はある意味教科書のように扱われました。数々の作曲家たちが彼の作品を研究し、作曲の勉強をしているのです。

そうした結果、ハイドンの死後にもその影響が色濃く残された作品が生まれました。1833年ドイツのハンブルグで生まれウィーンで大活躍、ウィーン楽友協会監督にもなったヨハネス・ブラームスは、敬愛するハイドンの名前を冠した「ハイドンのテーマによる変奏曲」を創作。

ハイドン作とされているテーマを、変奏の天才でもあったブラームスが、大胆かつ深い感情を込めたかのように感じられる変奏曲を見事に展開していっています。

もう一つ、お洒落な曲もご紹介します。フランスのパリで、ハイドンの没後100年を記念しある音楽雑誌社が、作曲家たちにハイドンにちなんだ作品の創作を依頼しました。
その一つ、モーリス・ラヴェルによる「ハイドンの名によるメヌエット」。

動画をご覧いただくとおわかりでしょう、ハイドンの綴り、HAYDNを音にあてています。
H→シ
A→ラ
D→レ
名前からこんなかわいらしいメヌエットを書いてしまうあたり、ラヴェルのセンスにも脱帽です。

と、ハイドンについて軽くお伝えしましたが、個人的に最も気に入っている逸話で今回の記事を締めくくることとします。
それは、フランスからナポレオンがウィーンに侵攻したときのこと。老ハイドンは、家臣たちが怯えても毅然としたようすで「恐れることはない。」と屋敷の中でいつものままだったとか。
この芯の強さが、現代に亘ってもなお作品が国歌として使われることにつながっているのではないかな、と思っています。

写真:
The Esterhazy Castle in Fertöd, Hungary(エステルハージ宮殿)
資料:

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