World Map Myanmar に関連する記事の一覧

『ミャンマー政変』の背景と其々への「問い」、日本の立ち位置を考える。

はじめにおことわり 先日ミャンマーで発生した標記事案について、私の見解や問いかけを述べさせていただきます。これまでのコラムで何度も詳しく説明してきたので、読者の皆様にはご理解いただけると思いますが、国内外で散見される「アウン・サン・[…]

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Relationship ― ミャンマーと日本の『時間軸』を辿る ~最終章:この先のミャンマー、日本との距離感

この先のミャンマー 本年11月の総選挙の結果で、NLD(国民民主連盟)による政権が継続することとなりましたが、新型コロナウイルスの感染拡大への対応を含め、短期的にも課題が山積する中、二期目の政権運営においてしっかりと取り組まなければ[…]

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Relationship ― ミャンマーと日本の『時間軸』を辿る ~2020年ミャンマー総選挙・・・大勝の果ての見えない未来図

与党大勝の選挙結果 2020年11月8日ミャンマー総選挙が行われ、アウン・サン・スー・チーが率いる与党NLD(国民民主連盟)が単独過半数を維持する結果となりました。詳細については次のようになります。 総選挙は軍人枠166議席[…]

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Relationship ― ミャンマーと日本の『時間軸』を辿る ~ミャンマーとの友好 関係の構築・・・2015年総選挙、NLD政権樹立

私が大統領の上に立つ ほぼ一年ばかりコラムが止まっておりました。 顧みれば、ミャンマー国民が異常なほどの熱量で迎えることとなった2015年のミャンマー総選挙から、今年はちょうど任期満了の年となりました。 写真1:2[…]

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Relationship ― 日本の『時間軸』を辿る ~ミャンマーとの友好関係の構築・・・殉難者の日

殉難者の日 写真1:殉難者追悼式典に参列する アウン・サン・スー・チー国家顧問 1947年7月19日、イギリスからの独立の確約を得て、連邦国家建設へ向け奔走していたアウン・サンが、閣僚6人共に暗殺されました。アウン[…]

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Relationship ― ミャンマーと日本の『時間軸』を辿る ~ミャンマーとの友好関係の構築・・・テイン・セイン政権期その4

民主化宣言後の総選挙実施に向けて テイン・セイン政権におけるミャンマー国内外の新たな試みとして最大の山場ともいえるのが公平公正な議会選挙の実施でした。 写真1:テイン・セイン大統領 これまでも議会選挙は行われて[…]

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Relationship ― ミャンマーと日本の『時間軸』を辿る ~ミャンマーとの友好関係の構築・・・テイン・セイン政権期その3

ゴールデン・トライアングル テイン・セイン政権期から遡ることになりますが、皆さんの中にはミャンマー(ビルマ)というイメージの中に「麻薬」という言葉が思い浮かぶ方もいると思います。 写真1:ゴールデン・トライアングル […]

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Relationship ― ミャンマーと日本の『時間軸』を辿る ~ミャンマーとの友好関係の構築・・・テイン・セイン政権期その2

もう一つの友好関係 これまで、民主化宣言後におけるミャンマーと日本との外交・経済といった友好関係の過程をお話しして来ましたが、もう一つ両国の友好を示す形についてもお話ししておきたいと思います。安全保障研究を行う私としては、ミャンマー[…]

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Relationship ― ミャンマーと日本の『時間軸』を辿る ~ミャンマーとの友好関係の構築・・・テイン・セイン政権期

再開された日緬関係 テイン・セイン政権が世界の信用を得ながら徐々に再び国際社会の表舞台へと戻りつつあるとき、アメリカや欧州による経済制裁の一部緩和を機に、日本も動き始めます。 日本とミャンマーの関係は、これまで人道支援並びに[…]

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Relationship ― ミャンマーと日本の『時間軸』を辿る ~ミャンマーとの友好関係の構築・・・ミャンマー民主化移行期その3

民主化宣言後のテイン・セイン政権とスー・チー氏 「民主化宣言」を行ったテイン・セイン政権時代、国内外はどのような状況であったのでしょうか。 軍事政権ナンバー4だったテイン・セイン大統領、そして野心満々だった当時ナンバー2のシュエ[…]

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