World Map Myanmar に関連する記事の一覧

Relationship ― ミャンマーと日本の『時間軸』を辿る ~ミャンマーとの友好関係の構築・・・テイン・セイン政権期その4

民主化宣言後の総選挙実施に向けて テイン・セイン政権におけるミャンマー国内外の新たな試みとして最大の山場ともいえるのが公平公正な議会選挙の実施でした。 写真1:テイン・セイン大統領 これまでも議会選挙は行われて[…]

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Relationship ― ミャンマーと日本の『時間軸』を辿る ~ミャンマーとの友好関係の構築・・・テイン・セイン政権期その3

ゴールデン・トライアングル テイン・セイン政権期から遡ることになりますが、皆さんの中にはミャンマー(ビルマ)というイメージの中に「麻薬」という言葉が思い浮かぶ方もいると思います。 写真1:ゴールデン・トライアングル […]

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Relationship ― ミャンマーと日本の『時間軸』を辿る ~ミャンマーとの友好関係の構築・・・テイン・セイン政権期その2

もう一つの友好関係 これまで、民主化宣言後におけるミャンマーと日本との外交・経済といった友好関係の過程をお話しして来ましたが、もう一つ両国の友好を示す形についてもお話ししておきたいと思います。安全保障研究を行う私としては、ミャンマー[…]

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Relationship ― ミャンマーと日本の『時間軸』を辿る ~ミャンマーとの友好関係の構築・・・テイン・セイン政権期

再開された日緬関係 テイン・セイン政権が世界の信用を得ながら徐々に再び国際社会の表舞台へと戻りつつあるとき、アメリカや欧州による経済制裁の一部緩和を機に、日本も動き始めます。 日本とミャンマーの関係は、これまで人道支援並びに[…]

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Relationship ― ミャンマーと日本の『時間軸』を辿る ~ミャンマーとの友好関係の構築・・・ミャンマー民主化移行期その3

民主化宣言後のテイン・セイン政権とスー・チー氏 「民主化宣言」を行ったテイン・セイン政権時代、国内外はどのような状況であったのでしょうか。 軍事政権ナンバー4だったテイン・セイン大統領、そして野心満々だった当時ナンバー2のシュエ[…]

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Relationship ― ミャンマーと日本の『時間軸』を辿る ~ミャンマーとの友好関係の構築・・・ミャンマー民主化移行期その2

2011年3月31日の演説 2011年3月は、日本に住む者にとって大変辛く悲しい月でありますが、ミャンマーの人々にとってこの月は大変驚くべき変革の始まりの時となりました。 2011年3月30日に発足したテイン・セイン政権は、翌日の[…]

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Relationship ― ミャンマーと日本の『時間軸』を辿る ~ミャンマーとの友好関係の構築・・・ミャンマー民主化移行期その1

ミャンマー連邦の国旗・国名変更 タン・シュエ議長の下、国家平和発展評議会(SPDC)が立法・行政・司法の三権を掌握して国家運営を行っていた中、2010年10月21日に世界へ向けてミャンマーの国旗の変更、そして名称変更を発表しま[…]

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Relationship ― ミャンマーと日本の『時間軸』を辿る ~ミャンマーとの友好関係の構築・・・ビルマ・ミャンマー軍事政権期その6

ミャンマーへの対外圧力 ミャンマーは、1988年の「8888運動」以降、ビルマ式社会主義を捨て、地域との結びつきを強め、1997年にASEANのメンバーとなりました。しかし正直に言えば、1980年代後半から2000年代前半まではミャ[…]

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Relationship ― ミャンマーと日本の『時間軸』を辿る ~ミャンマーの国造り・・・「8888運動」から30年経過して

8888運動とNLD設立 今年、それまでの社会主義・強権体制からの脱却と自由民主化への要望から端を発した大規模デモである「8888運動」から30年を迎え、更に来月には現政権与党である国民民主連盟(NLD)の設立からも30年の区切りを[…]

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Relationship ― ミャンマーと日本の『時間軸』を辿る ~ミャンマーとの友好関係の構築・・・ビルマ・ミャンマー軍事政権期その5

日緬関係の低迷期、ミャンマー政府再編 前回軍事クーデターによってソウ・マウン議長を頂点とする「国家法秩序回復評議会」(通称SLORC)による国家運営が開始され、「ミャンマー連邦」への国名変更、首都「ヤンゴン」への名称変更を行っ[…]

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