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Relationship ― ミャンマーと日本の『時間軸』を辿る ~ミャンマーとの友好関係の構築・・・テイン・セイン政権期その2

もう一つの友好関係

これまで、民主化宣言後におけるミャンマーと日本との外交・経済といった友好関係の過程をお話しして来ましたが、もう一つ両国の友好を示す形についてもお話ししておきたいと思います。安全保障研究を行う私としては、ミャンマー国軍と日本についての関係もぜひ皆さんに知っておいてもらいたいのです。

コラムの最初の方でお話ししましたが、ミャンマーと日本の友好関係は戦争の歴史の中で形成されていきました。かつての日本陸軍とアウン・サンら国家独立を求めた若者たちとの協力により独立義勇軍ができ、その後ビルマ国軍から現在のミャンマー国軍へと組織化されていきます。

ミャンマーの歴史において、時に国民の味方となり他国や侵攻勢力と対峙し、一方で国民と激しく対立し、権力の掌握や少数民族への弾圧といった国民の敵となる時期もあったミャンマー国軍。その国軍関係者は今でもこのようなコメントを言っています。

「わが国の独立の歴史において、日本と旧日本軍による軍事支援は大きな意味があった。」


写真1:日ミャンマー防衛相会談日

これは2016年9月21日、ミャンマーのセイン・ウィン国防大臣が稲田朋美防衛大臣(当時)と防衛省で会談した際に、感謝の言葉として述べられたもので、また、
「アウン・サン将軍がBIA(ビルマ独立義勇軍)を設立し、BIAと日本軍が英国の植民地支配を打ち倒した。ミャンマーは日本兵と日本に対し、いつも感謝している。」とも言っています。
多少のリップサービスはあったにせよ、現在のミャンマー国軍の間にも旧日本軍への感謝と日本への感謝が受け継がれているのです。

旧日本軍の「名残り」から人材育成へ

ミャンマー国軍にはかつての日本軍の「名残り」というものが今も存在しています。
例えば発音も意味もそのまま日本語の形で継承されている「用語」が有ります。
『ハンゴウ』:これは野営でご飯を炊くときに使う「飯盒」がそのまま
『モウイッカイ』:これも「もう一回」(リピート)がそのまま

また多少のアレンジもありますが、「楽曲」も継承されています。


写真2:ミャンマー国軍行進曲
『Myanmar Tot Ya Tatmadaw』楽譜

旧日本海軍の軍歌である「軍艦行進曲」、皆さんの間では「軍艦マーチ」として知られている曲です。歌詞はミャンマー軍が書き換えているものの、あのメロディはそのまま使用されています。
ミャンマーでは国軍記念日などの行進時や国軍のテレビ局開始時に『ミャンマー・ドゥーイェ・タッマドゥ(Myanmar Tot Ya Tatmadaw)』という行進曲として流されています。

南機関とともに訓練をしていたアウン・サンらが聞いた多くの日本軍歌の中で一番気に入っていたのがこの軍艦行進曲のメロディだったというエピソードがあり、現在ネ・ピドーの軍事博物館に行くと「愛馬新軍歌」とこの曲が常にBGMで流れているそうです。
ご興味がありましたら、実際のミャンマー国軍の音源を海上自衛隊東京音楽隊のホームページで聞くことが出来ます。

1966年9月、当時実権を握っていたネ・ウィン将軍がビルマ大統領として訪日したときには、まだご存命であった鈴木敬司元機関長やかつての南機関員と面会したことがあります。その面会の際にネ・ウィン大統領は鈴木元機関長から、クーデターによる権力奪取や国内の不安定な状況についてかなり厳しく問い質されていたというエピソードが残っています。


写真3:ミャンマーにおける能力構築支援事業

ただしそのころは本格的な防衛交流というのはなく、2011年の民主化宣言後からかなり交流は活発になっていきました。

2014年12月、日本財団が主体となって自衛隊とミャンマー国軍の人事交流がスタートし、両国が相互に訪問し合いながら、主に「人材育成」分野に注力していきます。軍事分野における協力は、なにも「戦闘演習」だけというわけではないのです。


写真4:ミャンマー国軍士官学校での日本語授業の様子

本格的にスタートした人材支援交流では、潜水医学(潜水作業における医学的問題と安全管理など)、航空気象(気象衛星解析や気象予報作成要領、気象レーダーの運用など)、人道・災害支援(東日本大震災の教訓例示や災害対処要領、復旧作業訓練など)といった能力構築事業が行われ、更に2018年4月には、日本語教育に関する教育環境整備支援としてミャンマー国軍士官学校外国語学部日本語学科への教育支援というものも進められています。

そんな中、現在のミャンマー国軍を取り巻く環境は非常に厳しいものがあります。
かつての国民への弾圧に対する検証と総括が進まず、「ロヒンギャ」に対する行動においても、欧米からの批難が集中をしているのです。  

しかしながら、大東亜戦争期、それぞれの思惑はあったにせよ、国家独立のために互いに協力し、その後敵対、和解を経て友好関係を築いてきた両国には、外交や経済だけではなく、防衛分野というもう一つミャンマーと日本の絆を象徴するものがあるということも知っておいてほしいと思っています。

(続く)

資料:

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