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『ミャンマー政変』の背景と其々への「問い」、日本の立ち位置を考える。

はじめにおことわり

先日ミャンマーで発生した標記事案について、私の見解や問いかけを述べさせていただきます。これまでのコラムで何度も詳しく説明してきたので、読者の皆様にはご理解いただけると思いますが、国内外で散見される「アウン・サン・スー・チー氏側=善の存在」、「ミャンマー国軍側=悪の存在」という単純な図式に私は与しません。

誤解のないよう申し上げますが、無論、今回国軍が行った行為を正当化する気はありません。しかし、ミャンマー「愛好家」ではなく「研究者」と名乗る以上、同事案への冷静な分析とそれぞれの立場を読み解く存在でなければならないと思っています。
従って、国軍・NLD双方へ、そして国内外のミャンマーの人々へ、しっかりと客観的に問いかけ、そして意見させていただきます。

ミャンマー政変の現状と背景

●現在(2月8日)までの状況
2月1日未明、ミャンマー国軍はウィン・ミン大統領(当時)、アウン・サン・スー・チー国家顧問(当時)やNLD幹部、NLD出身の地方政府トップら45人以上の身柄を拘束し、ミン・スエ第一副大統領が大統領代行(暫定大統領)に就任したうえで、憲法417条の規定に基づいて期限を1年間とする「非常事態宣言」を発出しました。

同宣言によって国軍が政権を掌握し、またミン・アウン・フライン国軍総司令官に立法、行政、司法の三権が委譲され、事実上NLDによる政権は終焉し、現在はミン・アウン・フラインが直ちに国家行政評議会を立ち上げ、その長である「国家行政評議会議長」に就任し、新たに11人の閣僚が任命された状況です。

またミャンマー警察軍からの発表によれば、ウィン・ミン前大統領は国家災害管理法違反(昨年9月に数百人が集まった選挙集会に参加し、新型コロナウイルス対策規制に違反したとされる)、アウン・サン・スー・チー元国家顧問は輸出入法違反(通信機器を許可なく輸入し使用したとされる)により訴追されて身柄拘束が続いています。

事態は刻々と変わっていくと思いますが、現時点では国内外市民デモも始まっており、特にミャンマー国内でのデモが大きくなってきています。デモ隊に参加する人々の心情は理解できるものの、1988年デモや2007年のサフランレボリューションのように血気に走って流血の惨事が拡大していくことのないよう願うところです。

●ミャンマー政変の背景は何か
さて、今回の政変を引き起こした背景およびトリガーとなったものを考えていきたいと思います。

①選挙不正調査の「大義名分」とパワーバランス崩壊へ高まった国軍の危機感
一点目は、国軍側が主張する、昨年11月に行われた総選挙の不正投票疑惑と中央選挙管理委員会との軋轢です。これについては各メディアでも取り上げている通り、彼らが行動を起こした大義名分は、昨年の選挙において800万とも1000万ともいわれる不正得票によってNLDが大勝したこと、これを解明し是正しない限り政権を認めないというものです。
反して、中央選挙管理委員会もNLD政権側も不正はなかったと主張し、国軍側の申し立てを完全に拒否する形をこれまで取ってきました。1月31日にも双方の代表者による話し合いが持たれたが結局平行線に終わった、という情報もあります。

これについては今後、国軍側が「不正があった」という明確なエビデンスを出さない限り、ミャンマーの人々も国際社会も到底納得できる状況にはならないでしょう。

また、NLDが昨年11⽉の選挙で予想を超える大勝を収めたことで、ミャンマー国家運営におけるこれまでのパワーバランスが大きく崩れたことも、国軍が動いた要因の一つだと思われます。つまり、現⾏憲法で定める軍⼈枠25%では、国軍主導の政権運営ができないという危機感が強まったということです。
例えば、2008年に制定された現憲法を改正するには連邦議会において4分の3以上の賛成が必要となりますが、今後の流れにおいて軍人枠の中から賛成に転じる者が現れた場合、憲法改正が進んでしまうのではという危惧もあったでしょう。

②国軍内の「主流派」対「非主流派」のパワーバランス
次に、簡単に言うと国軍内の「派閥争い」というトリガーも考えられます。
この静かな争いは、2011年の民主化宣言やそれ以前の2004年キン・ニュン失脚まで遡ることになりますが、国軍内には主流派(保守派)と非主流派(開明派・国際協調派)が存在しており(初めはみんな主流派でした)、これまでの軍事政権のトップは「主流派」の軍人が務めてきました(ミン・アウン・フライン議長も主流派とされています)。

しかしこの流れが変わった時期もかつてあり、それが2003年のキン・ニュン首相就任と2011年テイン・ セイン政権誕生の時でした。彼らは非主流派の軍人として国際協調外交など推進し、特にテイン・セイン政権の場合、テイン・セイン大統領とトゥラ・シュエ・マン下院議長はアウン・サン・スー・チーやNLD側とも対話を目指す柔軟路線を展開していましたが、2015年総選挙におけるUSDPの大敗を機に両者ともに政治の表舞台から姿を消してゆくことになります。そうなれば俄然主流派の力が強くなるわけで、対話チャンネルを失ったNLD政権との冷戦状態が出来上がってしまったというわけです。

③国軍とNLD政権との評価格差への不満
三点目は、国軍とNLD政権、国内外評価格差に対する不満というトリガーです。
冒頭でも触れた通り、両者についての世界的評価は二項対立を形成しているわけですが、これが顕著に表れている事案の一つが所謂「ロヒンギャ」問題に関する国際社会の評価であり、欧米諸国からの制裁だと考えています。

ラカイン州における「ロヒンギャ」への対応について、国軍(警察軍)は有形力をもって排除を行ってきました。これについて国際社会は人権侵害行為であるとの結論の元、国際刑事裁判所への提訴や、国軍幹部へのビザ発給停止や資産凍結等の制裁を発動しています。またアウン・サン・スー・チーが受賞したノーベル平和賞の剥奪を望む声も出ています。

コラムでも東南アジアセミナーでもこれまで再三述べてきましたが、この「ロヒンギャ」問題はNLD政権も国軍も、そして国内外のミャンマーの人々も『黙認』している国内問題であって、国軍の独断専行の暴走行為ではないのです。しかしながら、そのような認識のなかで国軍側ばかりが制裁等の厳しい評価を受け、アウン・サン・スー・チーをはじめNLD政権側には非難はあれど制裁などはない、というのが実際なのです。

また政策評価においても、2016年以前に軍政権下で計画されてきた内容をNLD政権が単に引き継いだに過ぎないのに称賛されている現状、といったことも不満だったのではないかと考えられます。

国軍、NLD、国内外のミャンマーの人々への「問い」

現実としてミャンマー政変は強行され、今後日本を含め世界各国が様々な思惑を抱えつつ対応することになっていきます。この状況における日本の立ち位置を考える前に、ここでは、政変を強行した国軍、アウン・サン・スー・チーをはじめとする政権を追われたNLDの人々、そして国内外のミャンマーの人々に対して、其々に私の「問い」を投げかけてみたいと思います。

●国軍への「問い」
国軍は政変を強行した責任を取って、彼らが言うところの総選挙の不正投票のエビデンスをしっかりと国内外に公表し、総選挙のやり直しを民主的かつ正当な手続きをもって行うことができるのか。

ちなみに、現行憲法は2008年に当時のタン・シュエ軍事政権の下で軍事政権の都合に合わせて作ったものです。国家非常事態宣言を発出し、国軍が政権を掌握する期間は一年(最長で二年まで延長可能)と定められているが、これに忠実に従うことが出来るのか。
自分たちに都合よく作った憲法ですから、自ら約束を破るなどがあったら、それこそ恥の上塗りとなり、このような状況下でも対話のチャンネルを持ち続ける日本への信用失墜ということになるでしょう。お手並みを拝見したいと思います。

●NLD側の人々への「問い」
現状国際社会が認めずとも、国家行政評議会の政権運営が進んでいくでしょう。
選挙を行わないように圧力をかけるにしても、以前のようにアメリカの強い指導⼒で国際社会が⼀致して制裁するという環境ではなくなっていることに加えて、制裁により中国が利することを避ける流れもあります。
しかし、国家行政評議会が行う選挙では、NLDを解党したり、アウン・サン・スー・チーを表舞台に出さないようにするなどの事態が想定され、自由で公正なものにはならない可能性もあります。そのような最悪の事態を想定し、次の時代に向け真の民主化を担える若きリーダーを育成することが出来るのか、単に反目するだけではなく国家行政評議会側との対話チャンネルを持つ人材を揃えることが出来るのか。カリスマ頼りになることなく、執政者の能力向上を行いながら政党をバージョンアップする必要があるのではないかと思います。

●国内外のミャンマーの人々への「問い」
日本国内でも大規模デモが展開されていることが報道等で伝わってきています。
ミャンマー人の国民感情としては、数十年に及ぶ軍事政権に戻ることは嫌だという気持ちが大半だと思いますが、徒に反対デモ等を血気に走って過激化すれば、それこそ向こう側の思うツボで、国軍の取り締まりを強化する口実となってしまうでしょう。

一方、今回の政変において、真っ白な「手」で国軍側を非難出来る人々がどれくらい居るのでしょうか。
所謂「ロヒンギャ」問題において、彼らに国籍を与えず、排斥を行っていることは大半のミャンマーの人々が黙認していることであり、中には彼らに「憎悪」の気持ちを持っている人も存在することは「偽らざる真実」で、決して国軍の思想だけが暴走したことではないでしょう。

そうした人々の「憎悪」を背負わされているのは前線の国軍(警察軍)の兵士であり、その銃後において安穏と生活をしていたのは大半のミャンマーの人々ではないでしょうか。国軍の行動を正当化する気は無論ないとあらためて表明いたしますが、ミャンマーの人々は、自身が隠匿する「憎悪」について真に向き合うことも必要ではないかと思います。

日本の立ち位置を考える

最後に日本の立ち位置について考えてみたいと思います。
欧米諸国は即反応で制裁だ圧力だと声高に主張しています。特に米国のバイデン政権はこれを「外交ショー」の初舞台として狡猾に使ってくるであろうことは容易にわかります。なぜなら、米国はミャンマーに制裁等を強化しても、自国への影響はほとんどないからです。

しかしあまり強力な制裁等を行えば、陸続きの中国へ漁夫の利を与えることになり、更にはここ最近交流が著しいロシアへも利益を与えることになるでしょう。そして経済制裁はミャンマーの人々の生活を窮地に追い込み、現体制をより一層硬化させることになりかねません。

ASEANは内政不干渉の原則から圧力を加えることは期待できず、それどころかタイにしてもベトナムにしても、ミャンマーを批判できるほど真に「民主的」な国家ではありませんね。
そのような中で日本はミャンマーとどう向き合うべきでしょうか。

日本は「状況は理解はするが、納得せず」という立ち位置で、双方に対話のチャンネルを持つ「特異な立場」を生かして引き続き良好な関係を維持しつつ、ミャンマーを再び世界の孤立国にさせることなく民主化へ導いていくことが肝要と考えます。

徒に対米追従でバイデンの尻馬に乗らず、また闇雲に対立を煽るものでもなく、国軍・NLD双方に築いてきた対話のチャンネルをフル活用し、ミャンマーの国民生活や日本の企業活動などに支障がないことを保障させながら、最善の着地点へ持っていく。その重要な役割を担っていることを我々は自覚し、欧米スタイルでも国連スタイルでもない「日本スタイル」の対ミャンマー戦略を進めて行かなくてはなりません。

(以上)

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