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Relationship ― ミャンマーと日本の『時間軸』を辿る ~ミャンマーとの友好関係の構築・・・テイン・セイン政権期その3

ゴールデン・トライアングル

テイン・セイン政権期から遡ることになりますが、皆さんの中にはミャンマー(ビルマ)というイメージの中に「麻薬」という言葉が思い浮かぶ方もいると思います。


写真1:ゴールデン・トライアングル

タイ・ミャンマー・ラオス国境に跨るメコン川の接する山岳地帯、ミャンマーの東部シャン州に属する地帯は、かつて世界最大の「麻薬密造地帯」となっていました。

「黄金の三角地帯」または「ゴールデン・トライアングル」と呼ばれるこの地域は、アフガニスタン・イラン・パキスタン国境付近の「黄金の三日月地帯」(ゴールデン・クレセント)と並ぶ麻薬、特にヘロインの密造地域で、生成用のケシの花が咲き乱れアジアにおけるコカイン違法製造の約8割を占める場所として知られていました。

現在は経済成長や当局による取り締まりの強化によって、ラオス・タイ領域での生産は減少傾向にあるものの、ミャンマーのシャン州ではいくつかの武装勢力が麻薬生産のみならず覚せい剤密造などにも手を広げ、更に合法ビジネスも行うという「二重経済」を行っている状況が報告されています。

2011年の民主化宣言以降も、中央の都市部と地方の少数民族がすむ山岳地帯との生活レベルや経済格差は埋まることなく、また中央政府の意向に沿わない少数民族との終わることのない紛争状態が続くことにより、このようなダークゾーンやブラックビジネスが今も生き続けているのが現状です。

ミャンマーにおける麻薬密造


写真2:アジアの麻薬王クン・サー将軍

ミャンマーでは19世紀頃から麻薬の生産が始まりますが、近代においては、第二次世界大戦後中国共産党(中華人民共和国)の勝利により、中国国民党(中華民国)の残党軍が戦後の混乱で国境管理が手薄だったミャンマー国境からシャン州ワ族地域に流入。独立志向の強かった少数民族と結託して中央政府に抗う武装勢力となり、その資金源として麻薬が製造されていきます。
その後、中国国民党に代わりビルマ共産党が政府に抗うための資金源に使用して武装闘争を展開、更にシャン民族と共闘したクン・サーがシャン族解放組織モン・タイ軍を結成して武装闘争を展開するため麻薬ビジネスを行うなど、政情不安なミャンマーの状況に付け込む形で産業化していきます。

1996年クン・サーがミャンマー軍事政権に降伏後、残った者達などが「シャン州軍」或いは「ワ州連合軍」を結成して再び抵抗を開始、その際に麻薬生産を続行するなど、その後も麻薬の密造や密売が横行し続け、いままた覚醒剤の製造は増えつつあります。
タイ政府は2004年にこの地帯での年間の麻薬原料生産量が推定で最大3000トンに上ると発表しました。いずれの組織もミャンマー政府と和平を結んだものの、ミャンマー政府に反抗的態度を取らなくなっただけで武装解除はほとんど行われておらず、合法ビジネスを展開する資金源として麻薬の密売を継続して行っているということが未だ見受けられます。

2002年ケシ栽培禁止令が発布され、その後大部分のケシ畑はサトウキビ畑へと転換していきましたが、国連の組織であるUNODC(国連薬物犯罪事務所)の調査によれば、代替作物の価格下落とアヘンの価格上昇が重なり、2007年頃から麻薬密造が再び活発化してきています。

地域健全化へ日本の活動


写真3:JICAの取り組み(農業指導)

このような負の連鎖を断ち切るべく、地域の健全化に向けた活動を行っているのが日本のJICA(独立行政法人国際協力機構)です。
これまでもNPO或いはNGOといった組織が、代替作物への転換や生活指導などを行ってきていますが、JICAが本格的に活動を展開したのは、2014年からのシャン州の北部においてケシ栽培から転向した農家に対し農業技術の支援を行う『シャン州北部地域における麻薬撲滅に向けた農村開発プロジェクト』となります。


写真4:JICAの取り組み(農業指導調査)

最重要課題は、これ以上ケシ畑を増加させず、代替作物であるサトウキビやコンニャク、コーヒーやソバの栽培、加工、出荷、販売に至るまでの一連の行程を習得することによって生活改善と経済的諸問題の解決をめざすというものです。この活動は現在も続いています。

このように、民主化により経済発展や国民生活の向上などが急速に行われている一方で、やり残してきた地方における諸問題解決に、日本の活動が一役買っているということを知ってほしいと思います。

(続く)

資料:

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