World Map Myanmar に関連する記事の一覧

Relationship ― ミャンマーと日本の『時間軸』を辿る ~ミャンマーとの友好関係の構築・・・ミャンマー民主化移行期その2

2011年3月31日の演説 2011年3月は、日本に住む者にとって大変辛く悲しい月でありますが、ミャンマーの人々にとってこの月は大変驚くべき変革の始まりの時となりました。 2011年3月30日に発足したテイン・セイン政権は、翌日の[…]

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Relationship ― ミャンマーと日本の『時間軸』を辿る ~ミャンマーとの友好関係の構築・・・ミャンマー民主化移行期その1

ミャンマー連邦の国旗・国名変更 タン・シュエ議長の下、国家平和発展評議会(SPDC)が立法・行政・司法の三権を掌握して国家運営を行っていた中、2010年10月21日に世界へ向けてミャンマーの国旗の変更、そして名称変更を発表しま[…]

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Relationship ― ミャンマーと日本の『時間軸』を辿る ~ミャンマーとの友好関係の構築・・・ビルマ・ミャンマー軍事政権期その6

ミャンマーへの対外圧力 ミャンマーは、1988年の「8888運動」以降、ビルマ式社会主義を捨て、地域との結びつきを強め、1997年にASEANのメンバーとなりました。しかし正直に言えば、1980年代後半から2000年代前半まではミャ[…]

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Relationship ― ミャンマーと日本の『時間軸』を辿る ~ミャンマーの国造り・・・「8888運動」から30年経過して

8888運動とNLD設立 今年、それまでの社会主義・強権体制からの脱却と自由民主化への要望から端を発した大規模デモである「8888運動」から30年を迎え、更に来月には現政権与党である国民民主連盟(NLD)の設立からも30年の区切りを[…]

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Relationship ― ミャンマーと日本の『時間軸』を辿る ~ミャンマーとの友好関係の構築・・・ビルマ・ミャンマー軍事政権期その5

日緬関係の低迷期、ミャンマー政府再編 前回軍事クーデターによってソウ・マウン議長を頂点とする「国家法秩序回復評議会」(通称SLORC)による国家運営が開始され、「ミャンマー連邦」への国名変更、首都「ヤンゴン」への名称変更を行っ[…]

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Relationship ― ミャンマーと日本の『時間軸』を辿る ~ミャンマーとの友好関係の構築・・・ビルマ・ミャンマー軍事政権期その4

不思議なクーデター 1988年9月18日、当時国防大臣でもあったソウ・マウン大将によるクーデターが決行され、瀕死のビルマ式社会主義政権を終わらせるとともに、彼を「議長」とする「国家法秩序回復評議会」(通称SLORC)を結成、こ[…]

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Relationship ― ミャンマーと日本の『時間軸』を辿る ~ミャンマーとの友好関係の構築・・・ビルマ・ミャンマー軍事政権期その3

国内混乱の様相 長期に亘ったネ・ウィン時代が政治・経済の混乱とビルマ国民の行動によって終わりを迎え、ビルマは再び混乱の渦に巻き込まれていきます。 前回はその様子について表層の部分だけ触れましたが、国内混乱を最終的に鎮めたソウ・マウ[…]

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Relationship ― ミャンマーと日本の『時間軸』を辿る ~ミャンマーとの友好関係の構築・・・ビルマ・ミャンマー軍事政権期その2

日本側のネ・ウィン評 前回は、軍事クーデターによりネ・ウィン将軍が政権を掌握したものの、「ビルマ式社会主義」という特異な国家運営方針を取り続けたためビルマ国内が次第に混乱してゆく状態をお話ししました。 ネ・ウィン政権はいつからいつ[…]

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Relationship ― ミャンマーと日本の『時間軸』を辿る ~ミャンマーとの友好関係の構築・・・ビルマ・ミャンマー軍事政権期その1

支援を受けていたのに国家運営は失敗の連続? 本コラムでは、日本とミャンマーの友好関係構築の過程についてお話ししています。 これまで大東亜戦争、敗戦からビルマ独立、戦後賠償と国交回復、ビルマ国家経済の安定化に寄与す日本の経済支援[…]

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Relationship ― ミャンマーと日本の『時間軸』を辿る ~ミャンマーとの友好関係の構築・・・ビルマ戦後復興編その4

経済協力協定と工業化4プロジェクト 以前にも本コラムで書きましたが、1955年4月に日本とビルマとの間で「賠償および経済協力協定」が締結され、1965年までに約720億円相当の資機材や役務を日本が提供することとなりました。 この[…]

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