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東方正教会 ― 知られざるキリスト教文化圏
Ⅵ 正教会と歴史を訪ねる旅 ― 1.セルビア①

これまで正教会について、歴史や民族的な文化の側面からお話をしてきました。今月からは、私が正教国を訪ねて見聞した経験をもとに、個別の国々の歴史やそこにある教会をご紹介していきたいと思います。日本人が一般的な観光旅行で訪ねることは少ないかも知れませんが、参考になりましたら幸いです。

最初にご紹介するのは、バルカン半島にあるセルビアです。第二次大戦後、1992年までユーゴスラビア社会主義連邦共和国という社会主義国が存在していたのは記憶に新しいところですが、セルビアはその連邦内で中心を成していました。

既にご紹介したように、ヨーロッパのスラブ系諸民族は9世紀に、キリルとメトディオスのスラブ語による宣教によってキリスト教を受け入れ、多くが正教会に所属しました(2016年11月号参照)。その諸民族の一つであるセルビア人は、12世紀に族長ステファン・ネマニャのもとで部族が統一され、1171年に独立国となります。これを歴史的には中世セルビア王国と呼びます。また最初の王朝は、ネマニャの息子ステファン・ネマニッチが継承したことからネマニッチ朝と呼ばれ、1371年まで存続しました。

ネマニャはとても信仰に篤い人物で、晩年に君主の地位を退いた後、修道士シメオンとなって生涯を終えました。また、ネマニャの三男ラストコ(ネマニッチの弟)は青年時代に修道士となって名をサヴァと改め、1219年にセルビアの教会組織がコンスタンチノープルの管轄下から独立した時に初代大主教となりました。以後、ネマニッチ朝セルビア王国は、バルカン半島におけるスラブ系正教会の中心地として発展していくことになります。そのようなわけで、セルビア正教会の創立者であるサヴァと父親で建国者のステファン・ネマニャは、セルビアで最も崇敬されている聖人として現在に至っています(写真1)。


写真1:聖サヴァ(左)と聖シメオン/ステファン・ネマニャ(中央)

この中世セルビア王国誕生に関係する最も由緒ある教会が、ストゥデニツァ修道院です。この修道院は中世セルビア王国の最初の首都であったクラリェヴォという街から40㎞ほど南の山中にあり、ステファン・ネマニャが1190年に創立したものです。1986年にユネスコの世界遺産に登録されています。

荘厳な大理石造の聖堂は1196年に完成したもので(写真2)、内部にステファン・ネマニャと妻のアナ、息子のステファン・ネマニッチの三人の棺が安置されています。また聖堂内の壁一杯に描かれたフレスコ画のイコンは13世紀初めの制作で、損傷がかなりあるとはいえ、とても見事です(写真3)。


写真2:生神女聖堂(1196年建立)


写真3:聖堂内のフレスコ画のイコン

14世紀の最盛期、境内には他に小聖堂などの多くの建物がありましたが、オスマントルコの支配時代に壊されてしまい、中世の建物で残っているものは僅かです(写真4)。しかし、この修道院に泊まって朝晩の礼拝に参加し、また静かな境内やその周囲の山々を眺めていると心が洗われるようです。


写真4:中世から残る建物

ストゥデニツァ修道院の英語版ウェブサイトはhttp://www.manastirstudenica.rs/en-index/ ですので、関心のある方は参考にしてください。宿泊照会先のメールアドレスも記載されています。ただし、実際に訪問するにあたっては、一般の乗り合いバスは一日に数便しかなくて大変不便です。また、都会ならともかく、セルビアの地方では英語はあまり通じません。私個人は司祭という立場でもあり、現地のセルビア人に車で送迎してもらいましたが、一般の方が個人で訪問する場合は、旅行会社と相談して現地のタクシーやその他の送迎サービスを事前にチャーターすることをお勧めします。

写真:
  • 写真1:「聖サヴァ(左)と聖シメオン/ステファン・ネマニャ(中央)」、ストゥデニツァ修道院で筆者撮影
  • 写真2:「生神女聖堂(1196年建立)」、ストゥデニツァ修道院で筆者撮影
  • 写真3:「聖堂内のフレスコ画のイコン」、ストゥデニツァ修道院で筆者撮影
  • 写真4:「中世から残る建物」ストゥデニツァ修道院で筆者撮影

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