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東方正教会 ― 知られざるキリスト教文化圏
Ⅲ スラブ民族へのキリスト教の宣教 ― キリルとメトディオス兄弟の働き

これまで述べてきたように、キリスト教は多民族国家であるローマ帝国において、人種・民族を問わず受容可能な「普遍的な宗教」として広がり、またローマの国教会として認証された教会が正教会と呼ばれたわけですが、現在の正教徒人口の民族的構成はロシア人が約半分であり、さらにウクライナ人、ベラルーシ人、ブルガリア人、セルビア人などを合わせるとスラブ系諸民族が全体の7割以上に達します。(既出の「Ⅰ 東方正教会とは①」参照)しかも、現在のロシアなどの地域は旧ローマ帝国領ではありません。このことが我が国において、「ロシア正教」などといった表現と相まって、たとえばロシア正教会(つまりロシアにある正教会)が、あたかもロシア人だけにしか通用しない民族宗教であるかのような誤解を生じさせているのではないかと考えます。
しかし、スラブ民族はかつて、前回の「Ⅱ 正教会とカトリック教会」で述べたゲルマン民族と同様、ローマ帝国領の外側に住む、キリスト教を知らない人々でした。その彼らがビザンチンから文明を取り入れるのと並行して、正教会を通して「普遍的な宗教」としてのキリスト教信仰を受け入れた、というのが歴史的な経緯です。


写真1:キリルとメトディオス

そのスラブ民族への宣教を担ったのがギリシャ人のキリルとメトディオス兄弟です。(写真1)
スラブ系の諸民族はゲルマン民族が西方に移動した後、東ヨーロッパに移り住み、部族国家を形成しました。その一つであるモラヴィア(現在のスロバキアに位置する)のロスチスラフ王は、宣教師の派遣をビザンチン帝国に要請。それを受けてスラブ人の言葉を解するコンスタンティノス(後のキリル)と兄のメトディオスが、862年に宣教師としてモラヴィアに赴きました。

当時のスラブ民族には文字がなく、口語しかありませんでしたが、兄弟は聖書やその他の祈祷書を現地の言語に翻訳。また、ギリシャ文字をもとに、それを書き記す文字「グラゴル文字」を考案しました。つまりスラブ民族は彼らによって、文章語としての「教会スラブ語」と独自の文字を獲得し、宗教だけでなく文明全体の面で前進したのです。兄弟の死後、グラゴル文字は改良され、キリルの名を取って「キリル文字」となりました。これは現在でも、ロシア語、ウクライナ語、ブルガリア語、セルビア語などのスラブ系言語で使用されている文字です。

869年、コンスタンティノスは病を得てキリルの名で修道士となり、間もなく亡くなりました。兄のメトディオスはその後もモラヴィアで活動を続け、885年に亡くなるまでに聖書と全ての祈祷書のスラブ語翻訳を完成させました。彼らの翻訳による教会スラブ語の聖書や祈祷書は、ロシア正教会をはじめ、スラブ系の正教会で現在でも使用されています。

このためスラブ系の正教諸国では、キリルとメトディ兄弟は「スラブ人の亜使徒聖キリルとメフォディ」(メフォディはメトディオスの教会スラブ語読み。亜使徒とは正教会用語で、キリストの弟子である使徒に匹敵する働きをした聖人に対する尊称)と呼ばれて宗教的に大変尊敬されているだけでなく、一般にも「キリルとメトディオス」の名は、国語教育や翻訳の分野などでのアカデミックな団体や会議などの名称によく用いられています。

メトディオスの死後、モラヴィアはフランク王国との外交関係上、ローマ教会(現在のカトリック教会)に帰依することになり、正教会の宣教に当たっていた弟子たちは追放されてしまいました。
彼らを受け入れたのが、ビザンチン帝国から独立したブルガリアです。彼らは当時のブルガリアの都市オフリド(現在はマケドニア領)に本拠を構えました。
893年にブルガリアの王位に就いたシメオン一世は正教を国教に定め、同年にメトディオスの後継者クリメントを大主教とするブルガリア正教会を、コンスタンチノープル総主教から独立させました。
以後、オフリドは1219年にセルビア正教会が独立するまで、バルカン半島におけるスラブ民族の正教信仰の、いわば総本山として栄えました。現在オフリドは街全体が世界遺産に指定され、オフリド湖の美しい景色とも相まって多くの観光客を集めています。(写真2)


写真2:オフリド湖

写真:
  • 写真1:銅像『聖キリルとメトディオス』、マケドニア・オフリド、筆者撮影
  • 写真2:『オフリド湖から見たオフリド市街』、筆者撮影
参考文献:
Thomas Hopko “The Orthodox Faith vol.3, Bible and Church History”, 1981, Orthodox Church in America

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