World Map Asia

GROOVY LIFE in KYRGYZ! ~キルギスで人生をグルーヴ~ Vol.12

チョルポン・アタの日常生活

Саламатсыздарбы(こんにちは)!キルギス愛に溢れる男、長谷川貴司です。
寒い日が続きましたが、もうすぐ春ですね。いかがお過ごしでしょうか?私は相変わらず音楽を使った地域創生に邁進しており、充実感に溢れています。Vol.11で、川崎市のNPO法人ダンスラボラトリーとの取り組みについて紹介しましたが、なんと、私が勤める会社のバレーボールチーム、NECレッドロケッツからハーフタイム・パフォーマンスの出演オファーを頂きました!

私としては、ダンスラボラトリーと、パラムーブメントを推進する川崎市と、川崎を拠点とするNECが一体となって盛り上げる形をつくりたいと思い、急遽NEC社内でボランティア・ダンサーを募集し、集まった16名とダンスラボラトリーのダンサー25名でパフォーマンスをしました。曲はもちろん私が魂込めてつくった曲「Inspire」です。結果は大成功で、観戦していた福田市長も大絶賛!そして、3,500人の観客からも温かい手拍子をいただき、一生の思い出になりました。今後も引き続き音楽とダンスで地域を盛り上げる活動に取り組んでいきます。その時の動画(主に控え室のリハ)をご覧ください。

さて、今回はチョルポン・アタの日常生活について書いてみたいと思います。
仕事が終わると無駄に広い2LDKのアパートに戻り、ひとりの時間がはじまります。赴任当初に大家さんが設置してくれたテレビもいつの間にか何も映らなくなっていました(笑)。そして、2009年当時のキルギスは、インターネットも永遠につながらないと思えるほどの低速ダイアルアップ回線だったため、Netflixで夜を明かすことも不可能。インターネットは首都ビシュケクに行った際にJICA事務所で使える最新のテクノロジーでした(現在はチョルポン・アタもWiFiが当たり前らしいです)。テレビとインターネットが使えないなんとも不自由な状況でしたが、逆に言えば、日本ではなかなかできない時間の過ごし方ができたと思っています。

学校から帰ったらまずはバザールに買い出しです。Vol.3でも触れたように、料理に興味がなく、日本ではコンビニ弁当ばかり食べていた私にとって、自炊は生きるか死ぬかの重要課題でした。そんな私でもつくれる「味噌汁」、「そば」、「野菜炒め」の3つを先輩に教わり、それをひたすらローテーションしました。滞在2年目には新たに習得した炒飯をローテーションに加えたのと、日本の両親から救援物資として送られてくるカレーのルーを、おめでたいことがあった時に投入したのでした。


2年間を生き抜いたサバイバル料理

家の近くの、旧ソ連時代に使用されていた空港の滑走路を横切った先にあるバザールで、1週間分の野菜を調達します。肉は家で捌くのが嫌だったので、鶏肉とソーセージに限定しました。きのこは一度チャレンジしましたが、中毒で死にかけましたので、バザールで買うときは気をつけましょう。買い出しの後は、古代人の落書きが残る野外岩絵博物館に寄り道して太古の浪漫に浸ってみたり、イシククル湖で夕日を見て黄昏してみたりしていました。


山からイシククル湖に向かって伸びるソ連時代の滑走路(傾斜超キツい)

夜は、とにかくロシア語の勉強をしました。学校でもっと円滑なコミュニケーションをしたかったし、NEC復職後にロシア語を武器にしたいという思いもあったので、割と真面目に取り組んでいました。2019年現在、会社の業務でロシア語を使うことはまったくないですが、家庭の公用語がロシア語なので、結果としてロシア語の勉強は役に立ったようです。実を言うと、Vol.1に登場したロシア語の先生ラビヤさんの姪と帰国後に結婚したのです(笑)。また、帰国から8年経った今でも当時の同僚や生徒とSNSでやり取りしているので、ロシア語はしっかり勉強してよかったなと思っています。ロシア語で授業をしている動画もぜひご覧ください。

あと、毎日頑張ったのは体を洗うことです。大家さんがシャワールームに設置してくれた電気温水器はすぐに故障してしまったので、ほぼ2年間家のお湯がでませんでした。では、どうやってお湯を調達したかというと、バケツ2つに水を満杯にし、バザールで売っている電熱器(バケツ専用?)で温めます。バケツ1杯が40分で40度くらいになります。プラスチック製バケツは電熱器に触れて溶けたりするのでスチールバケツ必須です。バケツ2杯分を電熱器2本で温めるのが理想ですが、どういうわけか、必ず1本が故障するので、大抵は1杯を熱湯まで温め、それが冷める間に40分かけて2杯目を温めていました。バケツ2杯のお湯があれば、シャンプーで頭を洗い、体の隅々まで綺麗にすることができます。合計2時間近くかかる日課ですが(笑)。そう考えると日本のお風呂は素晴らしいですね!


バザール(閉店時間)

黄昏時はとりあえず石投げる

他に住居に関する大きな問題はありませんでしたが、たまに停電、断水、雨漏りに見舞われました。停電のときは蝋燭を灯して民族楽器コムズを奏でながら吟遊詩人ぶるか、フテ寝しかないです。断水は3日間連続の場合もあるので、普段からペットボトルや浴槽に水を確保しておかないと悲惨なことになります。雨漏りは上の階の無人の部屋からでした(怖い)。本当に漫画みたいですが、バケツやお皿を、水の落下ポイントに置いて大家さんが来るまで数日間耐えました。日本のインフラの安定感は、むしろ海外で生活するとその価値がわかります。停電も断水も雨漏りも、その瞬間は絶望感しかないですが、今ではとても楽しい思い出ですし、あの生活を通してワイルドに成長した気もします。


古代の人の落書きがそのまま残る岩絵博物館

今回はここまでです。次回は何を書くかまだ決めていません(笑)。お楽しみに!

(続く)


  • 藤井まり より:

    初めまして!面白く拝読しました!12年前、多摩美大元教授、ヒロコワタナベ先生隊長で陸路シルクロード旅しました!中国の西隣キルギスは、嵐の中、トルガルト峠超えて行きました!イシククル湖湖畔の宿でした!キルギス人は、日本人と、キルギス人は、兄弟と、いいますネ^ – ^、香りも、日本人と、似ていました!楽しい思い出、子供たちの、絵画の、展覧会を、しました!

藤井まり へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)