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Our World through Music~
甘い音と巡る世界の響き~Vol.11

人間らしい人柄と洗練の極み、モーツァルト

今月は、前回ご紹介したベートーヴェンと同じ時代に活躍した天才作曲家ウォルフガング・アマデウス・モーツァルトについてお伝えします。

ちょうど一か月ほど前の1月27日は、彼の生誕日でした。
その生地オーストリアのザルツブルクでは、「ザルツブルク音楽祭」と称してモーツァルトを記念した音楽祭が毎年開かれたり、「モーツァルテウム音楽院」という学校もあったりと、今でもその名を称えられ続けている人です。

モーツァルトは1756年生まれ1791年没。わずか35年の生涯でした。
ですが、その生涯に残された作品は多数、しかも傑作揃いです。
父のレオポルド・モーツァルトはザルツブルグの宮廷に勤める音楽家で、息子の才能に気が付き英才教育を施しました。(ちなみに、レオポルド・モーツァルトはヴァイオリン奏法の著書も残しており、現代でも読まれています。名教師だったのだろうと思います。)

まず、そのモーツァルトの作品で最も知られているといっても過言ではない一曲をお聴きください。

『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』。
ドイツ語で、「小さな夜の音楽」というような意味です。
これは、モーツァルトが亡くなる4年前の作品です。

こういった、明るい音楽の作風イメージが強いモーツァルトですが、とてもしっとりとした美しいメロディも書き残しています。

『アヴェ・ヴェルム・コルプス』。
ラテン語で「めでたし、真の御体よ」という意味の讃美歌で、これも晩年の傑作です。

さて、こういった一点の曇りもないような音楽を聴いていると、
さぞかしモーツァルトその人も美しく穢れがなかったかのような印象を抱いてしまいますが、実際にはそんなこともなく、現代の我々と同じように生活の悩みや健康の不安、それと同じくらい「美しい芸術」とはかけ離れたような下世話な楽しみも好む人でした。

例えば、父の反対を押し切って結婚した妻コンスタンツェは、
音楽史上でもその名が筆頭に挙がるほどの悪妻として知られ、金遣いが荒かったようです。
加えて、モーツァルト自身も、お金のやり繰りが下手で、経済的には非常に不安定な生活を送っていました。
夫婦揃って自由奔放だったのですね。
下世話な楽しみのほうもかなり度を越していて、性的に悪趣味な手紙がかなり残されています。

ここでお聴きいただくのは、モーツァルトが当時の音楽シーンを皮肉っぽく表した作品、『音楽の冗談』です。
無駄に長く、奇妙きてれつな和音があったり、いかにも不格好な音楽。
タイトル通り、彼は冗談としてこの曲をわざわざ書いたのですね。

今回、久しぶりにこの作品を聴いたのですが、
聴いていて「まだ聴いていないといけないの?」と、辛さを覚えるほどでした。
弾くほうも聴くほうも恥ずかしくなるような無粋の極み、そういった風刺を表現したかったのだと思います。

クラシック音楽というと、とても上品で美しいイメージを持たれることが多いと、
私自身も感じていますが、実際には、作曲家たちも私たちと同じように人間であったわけで、その作品とは真逆に感じられる行動、信じがたいような言動もしています。

時代背景も、社会の常識も、現代とはまるで違うところがあることを理解しておく必要があるでしょう。例えば、当時のウィーンでは、3代先まで残るような借金を背負うことは珍しいことではなかった、という話を読んだことがあります。

いずれにせよ、そういった軽薄で浮ついたような生活から彼の芸術が生み出されたのかもしれません。

では、軽薄でないほうの彼の生き方はどうであったかというと、
前回紹介したベートーヴェンにも通ずる、大変ロックな面がありました。
当時は、音楽家はみな宮廷に勤めていた時代、要は宮廷の使用人の一人でしかありませんでした。お抱え作曲家たちは、宮廷のご主人さまの望む音楽を書くことが仕事であり、それに応えられなかったら首になる、この生き方でしか安定した音楽活動と生活は望めませんでした。

モーツァルトの父、レオポルド・モーツァルトも、当然息子にそれを求めました。
有り余る才能を、宮廷音楽家として発揮してほしい、と切に願い、
幼少の頃からヨーロッパ各地へ御前演奏の旅に連れて出たのです。(マリー・アントワネットの前でも演奏したと言われています。)
ですが、モーツァルトはその父の願いを拒否しました。
不可能だと言われても、宮廷を捨て華やかな都ウィーンで、
誰にも依存しない作曲家として生きることを選びます。

実際には、上述のような生活となったわけですが、
おそらくモーツァルトが選んだ道は、当時としては早すぎる選択だったのでしょう。モーツァルトの死後、時代が移り変わった数十年後のウィーンでは、音楽家が自分の志でもって生計を立てることが不可能ではなくなってきていました。ブラームスがその一例です。

そんな強い意志もあったモーツァルト。
知れば知るほど実は味わい深く、面白い人だと思います。

おしまいに、彼の最後の交響曲の傑作をお聴き頂きましょう。
堂々たる風格に『ジュピター』というタイトルが名付けられました。
お聴き頂けば、先にご紹介した「音楽の冗談」が本当に冗談であったことがおわかり頂けるかと思います。

この他にも、ピアノ曲、オペラ作品、弦楽四重奏曲など、非常に傑作が多い人なので、少しでもご興味を持って頂けば幸いです。

資料:

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