World Map Asia

食から読み解く中央アジア
第9章 ロシア・ソヴィエトの食文化

16世紀から始まるロシアの中央アジア進出とその後の帝政ロシアによる征服、20世紀のソヴィエト連邦時代を経て、この地にはロシア文化、ソヴィエト文化がもたらされました。

そのため食文化の面でもロシアの影響が多分に見られます。まず、中央アジアの料理はロシア料理のメニュー構成に組み込まれることになりました。すなわち、①ザクースカ(前菜)、②第一の料理(スープ)、③第二の料理(主菜)、④デザート、⑤お茶の順番です。例えば、マンティは前菜、シシュ・ケバブやプロフは主菜といった形となります。

また、料理の名称が変化するものもあり、例えばナンは「レピョーシカ」、シシュ・ケバブは「シャシルィク」とロシア語で呼ばれることもあります。さらに料理それ自体も、ボルシチやオリヴィエ・サラダ(ジャガイモのサラダ)といった元々ロシア由来の料理が中央アジアで一般的に食されています。

現地ではロシア語が比較的良く通用し、キリル文字で表記される民族語もあります。また民族構成においても、一定数のロシア人が中央アジアに住んでいます。ロシア人は宗教的にはロシア正教徒が多く、彼らは豚肉も食べることから、ムスリムの多い中央アジアのバザールの一角にも目立たないながら豚肉売り場があります。

また、ウォトカやワインやビールといった酒類が多く飲まれるようになったのも特徴的なことです。ソヴィエト時代の宗教抑圧政策の影響で無宗教になった者も多く、かつムスリムの中で飲酒をする者も出てきています。現在の中央アジアは飲酒に対して比較的寛容であることから、宴席に酒類は欠かせないものとなっています。

ソヴィエト連邦はロシア人だけではなく多民族から成る国家であったため、ロシア人とは別の民族からも影響を受けました。中でも特筆すべきものに朝鮮料理が挙げられます。中央アジアの朝鮮人(高麗人)は、元々極東ロシアの沿海州に住んでいたのですが、1930年代から第二次世界大戦時にかけて、スターリンから日本のスパイだとみなされ、多くが中央アジアに強制移住させられました。

彼らの移住は、長距離の移動や居住環境の激変などにより多くの犠牲者を伴う過酷なものであったのですが、一方ではキムチ(漬物)などの朝鮮料理が中央アジアでも食べられるようになりました。現在ではバザールでキムチなどの漬物が多く売られており、これらはサラダとして食べられています。

中央アジアで食されている朝鮮料理の中で紹介したいものに、「ククシ」という麺料理があります。ククシは酸味のある冷たいスープで食べる麺料理です。

元々中国や朝鮮では、長い麺には「長寿を願う」という意味があり、結婚式などの慶事に良く食べられているようです。これは、年越し蕎麦に「長寿を願う」という意味を含める日本の文化に通じるものがあります。中央アジアの朝鮮人は父祖の地を遠く離れてしまったのですが、民族の伝統を失わないためにこのような意味のある料理を代々伝えているのです。そこに彼らの苦難の歴史が感じられます。

このように、近代から現代にかけての、ロシアによる中央アジア進出、さらにソヴィエト連邦という激動の時代は、食文化の面でも大きな変化をもたらした歴史的な時代でした。しかし時の流れを俯瞰して考えてみると、様々な文化が行き交う十字路である中央アジアでは、この時代もまた一つの側面でしかないと言えるかも知れません。

写真:
  • 「ボルシチ」著者撮影
  • 「ククシ」著者撮影

コメントはこちらから

メールアドレスが公開されることはありません。

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)