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東方正教会 ― 知られざるキリスト教文化圏
Ⅳ 正教会の「かたち」と文化 ― 3.祈りの中の伝統

私たちが実際に正教会を訪ねてみると、西方のキリスト教会にはあまり見られない伝統的な習慣を目にするはずです。それらの多くは視覚、聴覚、嗅覚といった人間の感覚にダイレクトに訴えかけるものです。このことは、信仰とは理屈ではなく、より根源的な感性の部分で心に刻み込まれるものという正教会の考えを反映しているといえます。今回はそれらを具体的にご紹介しましょう。

イコンについて前回ご紹介しましたが、他に視覚に訴えるものとしてロウソクの光の多用があります。正教会の祈りはイコンの前にロウソクを灯して行うのが伝統であり、そのため聖堂内は訪れた信者が灯した多くのロウソクで神秘的に照らされています。(写真1)


写真1:聖堂内に献じられたロウソク

また6世紀に、教会の祈りで楽器を用いることが教会法で禁じられたため、今でも正教会の祈りは祈祷文の朗詠も聖歌の合唱もすべて無伴奏であり、オルガンなどの楽器だけの奏楽も一切ありません。これは宗教改革以降に楽器を使用するようになった西方教会と異なるところです。正教会の礼拝自体が、祈りの言葉をアカペラで歌っていく形式であり、落ち着きのある荘厳な雰囲気を醸し出しています。

他には乳香の多用も挙げられます。祈りの時に聖職者が手に持った香炉で乳香の煙を振りまきますが、これを日本正教会では炉儀(ろぎ)と呼んでいます。炉儀によって芳香に満たされると、聖堂内が花畑に変わったかのような印象を受けます。乳香の使用は旧約(現在でいうユダヤ教)以来の伝統的な祈りの形態ですが、正教会がその伝統を保持しているのに対し、いまはカトリック教会では炉儀は重要な祭儀の時しか行われず、プロテスタント教会では炉儀自体ありません。(写真2)


写真2:炉儀

祈りの動作にある伝統としては十字を描くこと、起立すること、頭を下げることが挙げられます。
十字架はキリスト教徒にとって最も大切なしるしであり、教会の物品のデザインだけでなく、信者である自分自身にも十字架のしるしを描くことが、キリスト教会で古くから受け継がれてきた伝統です。正教会では三位一体の神への信仰の象りとして、親指、人差し指、中指の三本の指を合わせ、額、胸、右肩、左肩の順に十字を描きます。カトリック教会では後に、左肩の方が先になったため、現在は正教会とは十字の描き方が逆になっています。またプロテスタント教会では十字を描く習慣自体がありません。なお、しるしは描く(draw)ものであって切る(cut)ものでありませんから、日本正教会では「十字を切る」という言い回しはしません

また復活、すなわち死の状態から起き上がることへの信仰は、キリスト教の根幹を成すものであり、その意味で正教会の祈りは始めから終わりまでずっと復活を象る姿勢、すなわち立ったままで行われます。従って正教会の聖堂内には、椅子を置いていないのが普通です(もちろん例外はありますから全てではありません)。

さらに、神という絶対的な上位者への感謝や謙遜の気持ちの現れとして、頭を下げる行為が頻繁に行われます。例えばイコンの前でロウソクを灯し、十字を描いて深々と一礼するといったスタイルです。
この頭を下げる行為を最大限に進めたものとして、礼拝の中で特に重要な場面や、聖人の遺骸などの特別に神聖なものの前で、床にひれ伏すことも行います。謙遜の気持ちからさらに進んで、神の前で罪深い人間である自分を自覚している状態と言えるでしょう。これを日本正教会では伏拝(ふくはい)と呼んでいます。ユダヤ教やイスラム教など、他の一神教でも伝統的な祈りのスタイルとして普通に行われますが、西方教会ではまず見かけません。(写真3)


写真3:伏拝

なお、これは祈りの伝統よりもマナーに属することですが、聖堂内で男女とも肌の露出が多い服装を控えることや、特に女性はスカーフなどで髪を隠すことが求められます。修道院ではもちろん、街中でも特にロシア系の教会ではマナーに厳しい傾向にあります。
これらの事柄を頭に入れて、世界各地の旅先で正教会を訪れてみると、一層興味がわくことでしょう。

写真:
  • 写真1:『聖堂内に献じられたロウソク』、横浜ハリストス正教会で撮影
  • 写真2:『炉儀』、同上
  • 写真3:『伏拝』、同上
参考文献:
高橋保行『ギリシャ正教』講談社学術文庫

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