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東方正教会 ― 知られざるキリスト教文化圏
Ⅰ 東方正教会とは②


写真1:コンスタンティヌス大帝像

4世紀、ローマ帝国において迫害されてきたキリスト教が、ローマの国教会となる歴史的転換期を迎えます。その立役者となったのがコンスタンティヌス大帝(日本正教会では教会スラブ語の発音でコンスタンチンと表記)です。(写真1)
欧州、中東、北アフリカといった地中海沿岸の広大な地域を統治したローマ帝国では、293年から国土を4つに分割して副帝が治める四分割統治(テトラルキア)という政治体制が取られましたが、その副帝の一人でキリスト教に寛容だったコンスタンティヌスと、政敵である他の副帝との間でローマ全土の覇権を巡って内戦が勃発しました。

政敵の一人マクセンティウスを破り、帝国の西半分を手中に収めたコンスタンティヌスは313年、「ミラノ勅令」を発布。これは信仰の自由を公認する内容であり、事実上のローマにおけるキリスト教信仰の解禁を宣言するものでした。

そして324年、最後の政敵であったリキニウスを破ってローマ帝国の頂点に立った彼は、キリスト教的理念を中心とする新しい国づくりに着手しました。

そのために行ったことの一つが、キリスト教の正統な教義(Orthodoxy)の確立です。イエスと使徒たちが実在した時代から既に300年が過ぎ、キリスト教会内にも様々な教義上の差異が生じていました。しかし、コンスタンティヌスがキリスト教を国家理念として中央集権体制を確立しようとするのに、そのキリスト教の教義があいまいでは不都合です。

そこでコンスタンティヌスは、ギリシャの都市ニケアにローマ全土のキリスト教会の代表者を招集し、正統な教義を明文化させるための会議を開きました。これは第一全地公会(The First Ecumenical Counsel)と呼ばれ、この時に初めて、キリスト教の正統な教義の宣言文「ニケア信経」(The Nicene Creed)が採択されました。そしてここでローマの国教会として認証された正統な教義(Orthodox)を守っている教会は「正教会」(Orthodox Church)、そうでないグループは「異端」(Heresies)と呼ばれるようになったのです。以後、全地公会は正統か異端かを巡る神学の論争が起きるたびに開かれましたが、正教会では787年の第七全地公会が最終だと考えています。

コンスタンティヌス大帝が行ったもう一つのことは、イタリア半島からギリシャへの首都の移転です。

ローマ帝国はその名が示すように、イタリア半島の都市国家の一つに過ぎなかったローマが国土を拡大して成立しました。しかし、キリスト教という新しい理念を取り入れるにあたって、非キリスト教的な伝統が長く定着してきたローマ市が首都のままでは、抵抗勢力が多くて困難が生じます。そこで彼は、使徒時代からキリスト教が宣教されてきた地であるギリシャに新たな都市を建設し、それが完成した330年にローマ市から首都を移転しました。この街は「ノヴァ・ローマ」と名付けられましたが、コンスタンティヌスの死後、彼の名にちなんで「コンスタンチノープル」と呼ばれるようになりました。現在はトルコ共和国のイスタンブールです。

現在、イスタンブールで一番の観光名所は「アヤソフィア」であることに間違いないでしょう(写真2・写真3)。


写真2:アヤソフィア外観


写真3:アヤソフィア内部

この建物は元来、360年に建立された「聖ソフィア大聖堂」です。コンスタンティヌス以降の歴代皇帝は、コンスタンチノープルに多くの聖堂を建立しましたが、その中でも総主教座聖堂である聖ソフィア大聖堂はローマ帝国のキリスト教会の頂点に立つ聖堂という位置づけでした。1453年、オスマントルコがコンスタンチノープルを攻め落とし、ローマ帝国(いわゆるビザンチン帝国)は滅亡しましたが、トルコはキリスト教に対するイスラム教の勝利の証しとして、聖ソフィア大聖堂の壁一面に描かれたモザイクのイコンを塗りつぶし、モスクにしました。そしてトルコが帝政から共和国に変わった後、1934年に「アヤソフィア博物館」となり、現在に至っています。

以上のように、コンスタンティヌス大帝がキリスト教を国教化する政策をとったことで、キリスト教会はローマ帝国内で大きく発展し、またその国教会として認証された教会が「正教会」と呼ばれて今日に至ったわけです。しかし現在、世界にはカトリック教会やプロテスタント教会とその信徒が多く存在しているのも事実です。私たちは彼らを総称して「西方教会」と呼び、それに対して自分たちを「東方教会」と呼ぶわけですが、ではなぜキリスト教会が東西に分かれているのでしょうか。次回はその歴史的経緯について述べることとします。

(続く)

資料:
  • 写真1:「コンスタンティヌス大帝像」 ローマ・カピトリーノ美術館所蔵
  • 写真2と3:「アヤソフィア」 イスタンブール・アヤソフィア博物館のウェブサイトより転載

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