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Relationship ― ミャンマーと日本の『時間軸』を辿る ~ミャンマーの国造り・・・「8888運動」から30年経過して

8888運動とNLD設立

今年、それまでの社会主義・強権体制からの脱却と自由民主化への要望から端を発した大規模デモである「8888運動」から30年を迎え、更に来月には現政権与党である国民民主連盟(NLD)の設立からも30年の区切りを迎えます。
ビルマ・ミャンマーの歴史の中で社会構造が大きく揺らぎ、今なお「不安定感」を拭えない要因の一つがこの事案だと思いますので、今回は改めて「8888運動」や所謂「民主化」運動というものについて考えてみたいと思います。


写真1:NLDの党旗

「8888運動」については以前のコラムでも書かせていただきましたが、ネ・ウィンによる社会主義的国家体制の破綻と経済の行き詰まりから新たな社会の建設、そして西側諸国が取り入れた「民主主義」というシステムへの憧れによってこの運動は展開されました。

その際に全国的運動の中心として1988年9月27日に組織されたのが国民民主連盟(NLD)であり、この組織が中心人物として担ぎ上げたのが、アウン・サン・スー・チーでした。2016年の政権交代まで、軍事政権やその傾向を引き継ぐ政策に対して抵抗してきたミャンマー史上最大の反政府組織でもあります。

1990年の総選挙に参加した国民民主連盟は、軍事政権を狼狽させるほどの得票数で議席の大多数を獲得し、政権交代かと彼らも西側諸国も浮足立ちました。けれどもソウ・マウン政権は選挙結果を無視、国民議会の招集を拒否し続け、更にNLDの抵抗力を削ぐために国内での政党活動を禁止し、多くのNLD関係者を逮捕、投獄しました。

その後一旦は活動禁止を解かれるも、2004年の制憲国民議会への協力を拒否して再び活動禁止の措置となります。さらには、2010年の政党登録期限まで手続きを行わずに総選挙をボイコットしたことによって、創設22年目を迎える最中に政党を解党することとなります。ですから、設立30年と言っても党の歴史は完全にはつながっておらず、2010年の解党、そして2011年の民主化宣言以降の再結党を経て現在に至っているのです。

アウン・サン・スー・チーは、今でこそミャンマー「民主化」運動の旗頭というイメージとなっていますが、当時どれだけのミャンマー人が、西側諸国の「民主主義」というシステムを知っていたのか、そして、「8888運動」から30年が経過して、あの運動は本当に「民主化」運動と捉えて良いのか、そのあたりを次の章でお話ししたいと思います。

運動の真の目的と正体とは

アウン・サン・スー・チーというアイコンにより、世界中のマスコミは「8888運動」は「民主化運動」であると受け止めて報道しました。
当時の国民が反政府や反軍、反体制の不満を爆発させて行動した運動ではありましたが、事の成り立ちを丁寧に読み込んでいくと、これを「民主化運動」と捉えることは乱暴な解釈だと思えてきます。

勿論、民主化要求の側面が全くなかったわけではありません。しかし、それはあくまでもあの騒乱の一部であり、「8888運動」全体を「民主化運動」と捉えることは出来ません。
大多数の国民の第一の希望は「世の中が今より良くなってほしい、変わってほしい」ということであり、変革後の体制が「民主主義」か否かは二の次三の次だったと思われます。ただ現状より良くなってさえくれればそれで良かったのです。


写真2:「8888運動」30周年式典参加者が付けているバッジ

資料写真などをみれば、デモの看板に「民主主義の実現」と書かれているものもありますが、これは一部の学生運動が思い付きで掲げていたもので、組織運動として「民主化」を目標としたものではありませんでした。
当時はネ・ウィン体制によって、「民主主義」を口にすることも、文字化したり学校で学んだりすることすらできない時代でした。そしてこの国では、かつてウ・ヌー時代に「民主主義」で失敗したというトラウマを抱えていることから、学生運動のリーダーたちも本当の意味での「民主主義」を理解していた者はいなかったと考えられます。

また、西側諸国も何かと東南アジアに関与しようとしていた頃ですから、デモの理由付けが必要となったこと、西側の読者や視聴者に分かりやすく説明するため、起こっている事象を正当化する大義名分として「民主化運動」をキーワードにしたのです。
これによって自分達で知恵を絞らずとも、運動のリーダー達は言葉の意味はよく分からないまま「民主主義の実現」をスローガンに掲げると、外国メディアが勝手に「作文」して報道、宣伝してくれる。そのおかげで、結果として世界中の同情を集めることになりました。

このようにミャンマー人の大多数がそれほど重要視していなかった「民主化」というものがクローズアップされ、その純粋たる要求を阻む国軍は「社会悪の象徴」であるという対立構造とイメージ戦略が今この瞬間まで根深く浸透することとなってしまったのです。

2020年総選挙への課題

所謂「民主化」の未だ途中にあるNLD政権ですが、ここ最近のミャンマー国内の報道によれば、スー・チーのカリスマ性にも陰りが見え始め、かつての民主化運動支援者からも政権運営能力への疑問や「彼らは我々との約束を破った」と公然と政権批判する者も現れはじめています。

2020年に予定されている次期国民議会総選挙で政権交代を希望する国民はほとんどいないと思いますが、かつての運動の仲間たちからはNLDを離れ新党を結成するという話も少なくありません。
問題山積のミャンマーでNLD政権は目に見える成果を国民に示さなければ、スー・チーの威光だけでの政権維持はもう難しくなってきていることをもっと厳しく認識しなければならないでしょう。

(続く)

資料:

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