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Relationship ― 日本の『時間軸』を辿る ~東南アジア・ミャンマーと北朝鮮の関係性②

ミャンマーと北朝鮮の関係

私が研究するミャンマーは北朝鮮との国交が存在する。ミャンマーの国家経済や防衛に関して北朝鮮の役目は少なくなかった。
殊に国家防衛に関する事項においてはミャンマー国軍(当時ビルマ国軍)やこれまでの軍事政権との関係性は親密なものであったと言っても過言ではない。

北朝鮮にとっても、外貨獲得や物資供給の面においてミャンマーの存在は軽いものではなかった。
しかし、ミャンマーは時に北朝鮮の狂気の姿が象徴される場所になり、なりふり構わぬ外貨獲得への強欲を見せる場所にもなっていたのである。以後は北朝鮮の外貨獲得や軍事面での支援がどのように行われてきたのか、ミャンマーでの事件などを辿って考察していきたい。

北朝鮮は前述のとおり、国交樹立国との貿易は行われているものの、米国や日本と言った主要経済国とは交易はもとより国交も樹立していない。北朝鮮国内において基幹産業と呼べるものが乏しい状況から、思うように外貨を獲得することが極めて困難な情勢下にある。

一方で、苦肉の策ともいえるのか、或いは絶好のビジネスチャンスともいうべきか、北朝鮮製および北朝鮮人民軍からの払い下げという手段で「武器輸出」を行って外貨を獲得するという動きが活発化している。米国オバマ政権(当時)は、北朝鮮の主要な外貨獲得手段になっている武器輸出に関与の疑いがある企業について、断固たる措置を取る方針を明らかにしていた。

米国の外交政策分析研究所(IFPA)の推計によると、北朝鮮のミサイル輸出額は年間15億ドル(約1590億円)程度だとされる。数百億ドル規模とする複数の調査もあるが、北朝鮮からの武器輸出を全面禁止した国連安全保障理事会による制裁決議により、この数字は小さくなっているとみられる。
米国はまた、北朝鮮が核関連の技術やノウハウについても海外に輸出しているとみているが、具体的な金額については分かっていない状況である。

研究機関である国際危機グループ(ICG)が2009年に発表した報告書によると、北朝鮮は1980年代以降、イランやパキスタン、UAE、エジプト、リビア、シリア、イエメンにミサイルシステムを売却してきたとされる。専門家はこうしたミサイルには、改良型スカッドミサイルや中距離ミサイル「ノドン」などが含まれるとみている。

また報告書では、北朝鮮がシリアの原子炉建設に協力してきた有力な証拠があるとして、シリアは核兵器の製造を目的にプルトニウム生産炉を建設していた可能性が疑われているが、疑惑の施設は2007年にイスラエル軍の空爆で破壊されている。

このように北朝鮮は、自国の武器や技術などを輸出しては、経済制裁の網目を掻い潜り外貨獲得に奔走しているが、ここ数年は東南アジア地域においてその権益を確保しようと画策している。
事実、2009年6月に弾道ミサイル製造に転用可能な磁気測定装置をマレーシア経由でミャンマーに無許可で輸出しようとしたとして、在日北朝鮮系貿易会社「東興貿易」が摘発された。

さて、北朝鮮とミャンマーとの関係は、1983年のアウン・サン廟爆破殺傷事件(通称ラングーン事件)により断交している(2007年4月26日に国交回復)。
アウン・サン廟爆破殺傷事件とは、北朝鮮工作員によりビルマを訪問中であった韓国の全斗煥大統領(当時)一行の暗殺を狙って引き起こされたもので、その司令部は工作員が多数配置されていた在マレーシア北朝鮮大使館であったとされている。


写真1:爆破されたアウン・サン廟

全斗煥大統領一行は、1983年10月8日の夕刻、南アジア太平洋地域6か国(インド、スリランカ、オーストラリア、ニュージーランド等)歴訪の最初の訪問国であるビルマのラングーンに到着し、ビルマのサン・ユ大統領(当時)らの出迎えを受けた。

当時ビルマを訪問する国賓は、日程の最初に霊廟へ参拝するのが恒例となっていたので、翌9日、大統領一行もアウン・サン廟へ献花に訪れようとしていた。

同日午前10時25分(現地時間)、一足先に現地に到着した韓国の駐ビルマ特命全権大使の車を、全斗煥大統領の車と間違えた実行犯による遠隔操作によって、廟の天井に仕掛けていた遠隔爆弾の爆発が起こり、21名が爆死(韓国側は副首相や外務部長官ら閣僚4名を含む17名、ビルマ側は閣僚・政府関係者4名)、負傷者は47名に及んだ。
しかし全斗煥自身は、乗っていた車の到着が2分遅れたため、危うく難を逃れたのだった。

断交以降の関係~ミャンマー核兵器開発疑惑

1990年代に入ってミャンマーは北朝鮮から小型武器の弾薬や大砲等の輸入を開始し、2000年代から両国は軍事協力を強化し始める。現在までに北朝鮮貨物船の寄港や、北朝鮮航空機のミャンマー軍事基地への着陸、北朝鮮の兵器関連企業のミャンマー訪問などが行われている。


写真2:北朝鮮で視察中のトゥラ・シュエ・マン将軍

2008年11月にはミャンマー国軍のトゥラ・シュエ・マン将軍(当時)率いる国軍代表団が北朝鮮を秘密裏に訪問し、北朝鮮海軍防御統制センター、南浦の海軍本部、妙香山の兵器保管庫、平壌郊外のスカッドミサイル製造工場を訪問したといわれる。

この際に核兵器を含めた大量破壊兵器開発など多くの軍事協力に関する了解覚書を交わしたとされたとの報告があり、その行動が米国をはじめとする対ミャンマー経済制裁延長に影響を与えたと考えられている。


写真3:ミャンマー国軍北朝鮮訪問団

ミャンマー連邦における核開発は「疑惑」として報じられてきたものであったが、ミャンマーのフラ・ミン国防相は2012年に開催されたアジア安全保障会議(シャングリラダイアローグ)で演説し、タン・シュエ議長政権下で、核開発を試みていたと初めて認めた。

ただし、開発は核兵器ではなく平和利用のためであって、2011年3月にテイン・セイン政権が発足後、開発を停止したとコメントしている。

更に、開発は「学術的研究で核兵器のためではなかった。現実の制約から進展せず断念した」とのことで、開発は停止したため、国際原子力機関(IAEA)に「見せるものは何もない」とも述べている。しかし「現実の制約」とは技術、資金両面での障害を指すとみられ、また、変革を進めるうえで、孤立する北朝鮮との協力は得策ではないと判断したものと推測される。
勿論ミャンマーが、電力エネルギー源としての核を希求していたのは間違いない。しかし核兵器保有の意図があった疑いもなお拭えないのは当然である。

国家の威厳や隣国とのパワーバランス、地域における優位性を獲得するため、多くのリスクを背負いつつも兵力増強や大量破壊兵器を保有するという方策は、ミャンマーに限らず多くの国が選択する可能性のあることである。
そういったことを検討している国に対して、思惑は違えども北朝鮮が核開発技術支援・大量破壊兵器の輸出などの手を差し伸べるということが、今後アジアに限らず全世界的に起きる可能性があることを、我々は注視していかなくてはならない。

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