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Our World through Music~
甘い音と巡る世界の響き~Vol.16

時代も国も越えた、強烈なスピンオフ「クロイツェル・ソナタ」

今回は、一人の作曲家というより、時代も国も越えて芸術家たちに創作意欲を湧かせた「ある作品」についてです。その作品は、以前ご紹介したベートーヴェンによるもの。強烈な印象を持っていたから、同じタイトルでロシアのトルストイやチェコのヤナーチェクが作品を残しました。その経緯と内容の変遷は大変興味深いものです。2006年には「クロイツェル・ソナタ 愛と官能の二重奏」というタイトルで映画にもなりました。一体、どのような道を辿っていったのでしょうか。

「クロイツェル・ソナタ」。L.v.ベートーヴェンが残したヴァイオリンとピアノのためのソナタ第9番のことです。クロイツェルとは、当時の名手ロドルフ・クロイツェルのこと。その人に捧げられた曲です。ちなみに、クロイツェルはヴァイオリンの世界では初心者からプロに至るまで大変有名な存在で、それは彼が素晴らしい練習曲本を残したからに寄るものです。私もよく練習しています。
さて、このクロイツェル・ソナタは、それまでの音楽の歴史にあった2重奏とは大きく異なり、とてもハードな曲調です。まずは、演奏をお聴きください。

全部で30分以上ととても長い作品です。実際に演奏するのもとても難しく、ヴァイオリンもピアノもそれぞれ技巧が困難なことに加えて、アンサンブルがとても複雑で私も初めて演奏したときには「指揮者がほしい…!」と思ったものでした。

演奏も内容もハードな作品。この曲はそののちある二人の芸術家に同じ名の作品を書かせることになります。

一つ目は、ベートーヴェンが書いた1803年からおよそ90年後、1890年にロシアで発表されたトルストイによる「クロイツェル・ソナタ」。もちろん文豪の作品ですから楽曲ではなく小説です。
この内容はまた衝撃的で、詳しくはお読み頂ければお分かりいただけますが、かいつまんでご紹介しますと、「性に奔放だった主人公だが、妻が『クロイツェル・ソナタ』を共演したピアニストと不倫していることに気が付き、嫉妬から妻を殺害し、それをのちに電車の中で相席になった聞き手に話す」というものです。
トルストイの文学には不倫を越えた純愛というものも書かれていると思いますが、それにしても「クロイツェル・ソナタの音楽からこういう小説が産まれることに私は驚いています。

そしてもう一作は、そのおよそ30年後にチェコで作曲された「クロイツェル・ソナタ」。これは、チェコの代表的作曲家レオシュ・ヤナーチェク(1854ー1928)がトルストイの「クロイツェル・ソナタ」に感化されて作曲したものです。ですので、当然中味は上述の不倫、嫉妬、殺害、といった流れになっています。冒頭のチェロの独り言のような旋律がなんとも不吉で気味悪さを感じさせます。全体で20分にも満たない長さですが、小説の内容を追って、全4部から成っています。

このヤナーチェクの「クロイツェル・ソナタ」は、まるで物語を聴いているかのようです。演劇的と言ってもいいかもしれません。感情の一つ一つがとても扇情的に表されていて、聴いていて非常に重苦しくなる、正に“狂気の世界”です。
元のベートーヴェンの「クロイツェル・ソナタ」とはずいぶん大違いです。

今回の記事を書くにあたって、私もそれぞれの「クロイツェル・ソナタ」を聴き、そして読んだのですが、私の解釈ではこの“スピンオフ”は以下のように感じました。

ベートーヴェンの「クロイツェル・ソナタ」は、激昂しているような1楽章がとても強い印象を与えるのに対し、柔らかく語り合っているかのような2楽章は、まるでヴァイオリニストとピアニストが音楽で心が通じ幸福な愛情を育んでいるように感じられる。それを経て3楽章はまた激しさと柔らかさが交互に繰り返され、息の合った者同士でないとできないような応酬がなされる。

トルストイは、これほどまでの激しさと幸福さが入り乱れた音楽を2人で奏でられることに、男女の愛憎を感じたのかと思います。そうして、彼が残したのはその愛憎をテーマにした作品でした。初めて彼の「クロイツェル・ソナタ」を読んだとき、ベートーヴェンの音楽から受けた印象とはあまりに違うと思いましたが、今ではそのような受け取り方もあるのか、と思います。

ヤナーチェクは、見事なほどにトルストイの愛憎の世界を表現しました。音から聴こえる激しさは、ベートーヴェンが書いた激しさとは違う、人間の感情そのものでしょう。まるで語っているかのような旋律と、すすり泣き、むせび泣く音は弦の振動でしか表せなかったのかもしれません。こちらも凄まじく強烈な印象を与える作品となりました。

2019年11月24日に、私が出演するコンサートでは、このクロイツェル・ソナタの第1楽章を演奏します。ベートーヴェンが書いた、不朽の激昂する芸術。トルストイとヤナーチェクにまで与えた大きな影響をもって現代において演奏しようと思います。お聴き頂ければ幸いです。

写真:
  • “man riding a sleeper train”
  • チェコにあるヤナーチェク劇場“Janacek Theatre”
動画:

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