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Relationship ― ミャンマーと日本の『時間軸』を辿る ~ミャンマーとの友好関係の構築・・・ビルマ戦後復興編その3

ビルマ・ミャンマーと東京銀行

本年の5月に、国内メガバンクである「三菱東京UFJ銀行」の商号が、来年4月より「三菱UFJ銀行」になるとの報道がありました。


写真1:旧東京銀行本社ビル

個人的に「東京」の商号がなくなってしまうということが非常に残念でなりません、なぜなら「東京」つまりかつての「東京銀行」という存在は、ビルマ・ミャンマー史の時間軸を辿るうえで見過ごすことのできない大きな存在であり、東京銀行がミャンマーで行ってきた功績が2015年ヤンゴン支店開設にまで続く大きな時の流れを生んでいるからなのです。

簡単にではありますが「東京銀行」について調べてみました。開業は1946年ですが、そもそもの流れは1880年に設立された「横浜正金銀行」※1であり、GHQによる司令のもと外貨獲得を主とした特殊銀行である横浜正金銀行を解体し、その業務を引き継ぐ形で東京銀行が誕生します。貿易為替金融業務の能力が長けていたことからその後、戦後復興に伴う外貨獲得・調整や諸外国の賠償請求に伴う支払い業務など、海外への窓口銀行として業務を推進していきます。


写真2:ミャンマー中央銀行(旧ビルマ中央銀行)

戦後の混乱収拾や外国との取引など多忙な日々を送る東京銀行に時の日本政府から、ビルマ連邦共和国との賠償金支払い業務並びに経済協力金の支払業務の日本側窓口としてビルマ中央銀行と交渉してほしいという大きなミッションが舞い込んできます。

前回書きましたが、1954年に日本・ビルマ平和条約が締結され、それに伴う戦後賠償にも合意を得ていた日本は、その具体的支払方法等についてビルマ側の金融窓口である「ビルマ中央銀行」との交渉チャンネルが必要となったのです。

戦後のGHQ指令によって国内財閥は解体、金融機関も弱体化していたことから選択は厳しいものだったと思いますが、何故東京銀行はこの一大業務を全うすることができたのでしょうか?

海外進出とのシンクロ

1990年代に発刊された『東京銀行史』を開いてみるとその理由が見えてきます。
戦後の復興により民間貿易の拡大、外国為替業務が本格化するとの予測から、東京銀行はニューヨーク並びにロンドンへの支店開設に奔走、その後講和条約の締結、求償国の決定や賠償業務の本格化も見据え、アジア周辺の国家への拠点づくりが行われます。

同書によると、

1952年9月  英国 ロンドン支店・米国 ニューヨーク支店開設
1953年2月  加州東京銀行サンフランシスコ本店、ロスアンゼルス支店開設
1953年3月  インド カルカッタ(現コルカタ)支店開設
1953年4月  パキスタン カラチ支店開設
1953年10月 香港支店、フィリピン マニラ駐在員事務所開設
1953年12月 インド ボンベイ(現ムンバイ)支店開設
1954年1月  タイ バンコク駐在員事務所
1954年3月  ビルマ ラングーン(現ヤンゴン)駐在員事務所開設

と海外進出が行われたそうです。

当時の東京銀行の分析を見てみると、アジア方面への進出に当り支店開設交渉がスムーズに行える地域はまだそれほど存在していなかったようです。そして当時の国交回復状態や終戦処理状況などを考慮しての分類は、パキスタンやインド、タイといった既に国交が回復している国、ビルマ、フィリピン、インドネシアといった国交回復交渉中の国、そしてシンガポール、香港、マラヤ・北ボルネオ(現マレーシア)のような英領植民地となっていました。特にビルマについては、当時ビルマ全土津々浦々にばら撒かれた旧日本軍の軍用手票※2、いわゆる「軍票」がビルマ国民のお財布の中にまだ残っているという混沌とした状況でした。

まずは国交の回復と同時に賠償問題の解決、それが行われれば軍票問題も片付くのではとの考えから、東京銀行は当時の大蔵省や日本銀行当局にも報告し、賠償問題の解決が肝要である旨を訴えたそうです。
これがきっかけとなったかは定かではありませんが、先述の「白羽の矢」が立ち、1954年3月に東京銀行はラングーンへ駐在員を派遣、両国の賠償交渉を現地側から支援して1955年の交渉妥結へと奔走します。

東京銀行の海外進出への期待、他方、戦後復興とともにアジア世界への復帰の機会をうかがっていた日本政府との思惑が一致し、奇跡の如くビルマ=日本の関係を回復させることに成功します。
その後東京銀行は交渉妥結以来約30年間にわたり、ビルマで唯一の邦銀の駐在所・駐在銀行として、ビルマ中央銀行の外国為替取引業務の支援や銀行実務等の指導、ODAをはじめとする日本のエージェント・バンクなどの大役を果たしていくことになります。

ミャンマー政府の感謝


写真3:三菱東京UFJ銀行ヤンゴン支店開設記念式典

2015年4月22日、ミャンマー連邦共和国ヤンゴン市内においてある記念式典が執り行われました。「三菱東京UFJ銀行ヤンゴン支店開設記念式典」です。

実は東京銀行の駐在員事務所はすでに1954年に開設されていましたが、1984年に閉鎖していました。1962年に当時のウ・ヌー政権の不安定さ、国民不満の爆発等を背景としてビルマ国軍最高司令官であったネ・ウィン(元BIA)がクーデターを実行、政権を奪取して軍事政権を樹立するも、国内政策について社会主義へ傾倒する政策を打ち出す(ビルマ式社会主義といいますが内容については別に機会に)といったように、国内情勢の不安定、鎖国政策の影響によって1984年やむなく事務所を一時閉鎖せざるを得なかったからです。

その後1995年にまた駐在員事務所を設置し、日本の銀行として初めてミャンマーに再進出を果たします。そして2015年4月22日に、民主化宣言以降ミャンマー政府から営業認可を得た最初の外国銀行として、ヤンゴン支店を開業することとなります。

この「第1号」という栄誉は、戦後の賠償交渉やビルマ中央銀行の再建、金融システム再構築支援など、これまでの積み上げられてきた功績が認められた結果であり、それに対するミャンマー政府最大の感謝の表れだったと思います。

(続く)

注記:
  1. ※1 因みに横浜正金銀行期の1918年、英領ビルマ国に支店を開設しています。
  2. ※2 戦争時において占領地もしくは勢力下にて軍隊が現地からの物資調達及びその他の支払いのために発行される擬似紙幣。(Wikipediaより)
資料:

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