World Map Europe

Our World through Music~
甘い音と巡る世界の響き~Vol.25

文筆家でもあった音楽家

緊急事態宣言が全国的に解除されるかされないのか、というタイミングで今月の記事を書いています。ウィルスの脅威は、我々の生活様式に合わせてくれるわけではありませんから、解除されたとしても油断できない状況かなと考えておりますが、いかがお過ごしでしょうか。
今月のテーマは「音楽家と文章」です。歴史的に偉大な作曲家の中には、文筆活動も繰り広げた人がいました。つまみ食いのようですが、軽くご紹介しましょう。

ロベルト・シューマン。1810年、現在のドイツのツヴィッカウに生まれた作曲家です。元々ピアニストを志していましたが、練習のやりすぎで手を痛めたことで、ピアニストの道は断念し、作曲家となりました。ちなみに、妻のクララは稀代の名ピアニストで第13回でご紹介したブラームスの生涯にも深く関わる人です。このブラームスを見出したのが、実はこのシューマンです。まず、彼の有名な作品をお聴き下さい。

この旋律を知らない方はいないでしょう「トロイメライ」です。シューマンはこういったピアノ曲、そして歌のための作品がよく知られています。彼の歌曲の中から、ハイネの詩に音楽をつけた「詩人の恋」をお聴きください。全曲通すと30分ほどですが、一つ一つは短い歌曲です。

もう一つ、文学的音楽作品の優れた名作をご紹介しましょう。E.T.Aホフマン著作の「クライスレリアーナ」から、同じタイトルの連作ピアノ曲を作りました。彼は、この文学に自分とクララの恋を重ねており、文学の印象を更に作品としてまとめ上げています。この曲はショパンに献呈されました。ちなみにシューマンの「クライスレリアーナ」は8曲からなるピアノ曲集で、この動画は連続再生で8曲聴くことができます。

シューマンの父は書店を営み、出版社も持っていました。その影響か、シューマンも少年の頃から文学に親しみ、自ら試作も行っています。中にはドレスデンの夕刊紙に掲載された詩もありました。その後、若くして文学サークルを立ち上げるなどして音楽と同じく段々と充実していった彼の文学人生。その中で、最も大きな功績といえるのが音楽雑誌「新音楽時報」の刊行です。シューマンはここで、ショパンやベルリオーズ、そしてブラームスといった若手の才能を紹介していきました。ショパンやブラームスを紹介したメディアとしてのこの音楽雑誌の存在は、当時としては画期的なものであったことでしょう。それは、きっと幼い頃から文学をも愛していたシューマンだからこそ可能になったことかもしれません。

そしてこの「新音楽時報」にはやがて皮肉な出来事も起こります。
第17回でご紹介したワーグナー。この人はいわゆるオペラにおいて、自ら台本も書いたほど徹底的にテキストにこだわった人ですが、実はこのワーグナーもたくさんの書籍を残しています。内容は、オペラやベートーヴェン、指揮法のこと、はたまた宗教と芸術、そして人間性における女性的なものについて、など音楽から哲学的なものまで。ベートーヴェンのことが気になるのは作曲家ならきっと当然なのでしょう。当時はベートーヴェン没後から20年くらいでした。
このワーグナーという人は、人格的には非常に卑しい人物だったのですが、その音楽は実に絶品、言葉を失うほど胸に迫りくる音楽。
彼の作品の中で私が好きな、楽劇「トリスタンとイゾルデ」より序曲です。

これほどまでに美しい音楽を書くというのに、当時の時代もあってなのか、彼は「音楽におけるユダヤ史」という反ユダヤ的な論文を前述の「新音楽時報」で発表します。
反ユダヤ主義だったワーグナー。「新音楽時報」を創刊したシューマンは、第23回でご紹介したメンデルスゾーンと親友で、メンデルスゾーンはユダヤ人でした。そして、この論文はメンデルスゾーンの名誉を傷つけるのに十分でした。幸い、発行部数が小さい雑誌だったので、楽壇以外では“事なきを得た”この件でしたが、ドイツにおける反ユダヤ主義の歴史の一事件として決して小さくない意味を持っています。いわんや、音楽史においては大きな出来事でもあります。

歴史的なクラシックの作曲家たちの世界は、このように音楽以外の面から切り取ってみても様々な出来事に満ち溢れています。彼らの持つ、現実世界を芸術的に表す感性により、人や事件も呼び込んでしまうのでしょう。大きな才能というのは、良いことばかりとも言えないのだな、と思いますが、それこそが現代の私たちにも通じる人間の性なのかもしれません。

写真:
動画:

コメントはこちらから

メールアドレスが公開されることはありません。

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)