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GROOVY LIFE in KYRGYZ! ~キルギスで人生をグルーヴ~ Vol.13

帰国、そしてこれから

Саламатсыздарбы(こんにちは)!キルギス愛に溢れる男、長谷川貴司です。
令和元年おめでとうございます!新元号の元年を過ごすことってなかなかないですし、新たな道を切り開く1年にしたいですよね。

私は、これまで自分の世界観を表現できるDJを目指して活動してきましたが、今後さらに表現に磨きをかけるべくダンスを本格的に始めました(笑)。自分の曲でDJして自ら踊れる「DJ兼Music Producer兼Dancer」を目指します。ダンサー目線で曲を構想したり、振付師と議論しながら制作するのもとても勉強になります。中央アジアをイメージする楽曲で、ダンスパフォーマンスするという中央アジアのステマ活動を楽しみたいと思います。
ちょうど平成が終わる間際(4/22)にリリースしたRemixトラック「Sun Comes Up (After the Rain)」が絶賛販売中です。中央アジア・西アジアの弦楽器を使いまくっていますのでぜひ聴いてみてくださいね。

さて、いきなりですが今回で本コラムは終了となります。
そこでこの最終回には、キルギスを去る時のこと、帰国後の活動、そして今後の展望について書きたいと思います。

オスモノフ中等学校では、PCインストラクターとして、学校でITが活用されるようサポートをしました。赴任時のPC教室はゲームセンター状態でしたが、活動を終える頃には、教師がパワポを駆使してつくった教材でインタラクティブな授業を行い、その取り組みを対外的にPRするようになりました。ワードで宿題をこなす生徒の姿が日常の風景になったことは、大きな成果のひとつです。ですが、日本から来たお兄さんとして学校生活を共にし、日本のファンを増やしたことがなによりもやり遂げたと自信を持って言えることです。


大事にしたのは自分を通して日本のファンを増やすこと

学校の最終日、私は比較的ドライな性格なので、「じゃまたね!」という感じであっさりお別れするんだろうなと思っていましたが、最後のランチ会で涙腺崩壊してしまいました。
校舎を出た所から生徒たちがアーチをつくって正門まで見送ってくれたあの光景は、8年経った今でも鮮明で、思い出すと何度でも泣けます。それだけ全力投球した2年だったのだと思います。
また、あの当時のキルギスはインターネットもほとんど使えなかったですし、もう皆と会うことはないと思うとすごく悲しかったです。

ところがどっこい、今ではキルギスもすっかりITが導入され、日々同僚教師や生徒のその後の人生をSNSでリアルタイムに知ることができてしまいます。インターネットは本当に世界を変えましたね!
校長のリュドミラ・ニコラエヴナと、タチアナ・ヴィクトロヴナをはじめ、教師のほとんどは未だに現役で働いています。教頭のイリーナ・ヴァレーリエヴナは、その後ロシアに引っ越しましたが、今でも時々連絡をとりあっています。


2年間を過ごした思い出の校舎

ほとんどの生徒たちは結婚して家族がいます。Vol.7に登場したヤーナはその後、日本留学を果たし、現在は日本語のスペシャリストとして働いています。手先が器用だったチナラは、ビューティサロンを経営し、積極的にInstagramでライブ配信をしています。Vol.10に登場したアレクセイ(音楽担当)は突然学校を辞めてしまったのですが、そんな彼のロシアでの元気な姿をリアルタイムで知ることができます。実際に会うことは現実的には難しいですが、自宅や通勤電車の中から彼らの人生を知ることができるのがとても嬉しいです。

日本に帰国してしばらくは、キルギスで共に過ごした青年海外協力隊員たちと、地域のお祭りや幼稚園で民族楽器コムズの演奏をして、キルギスの紹介をしていました。ただ、世界を飛び回る仲間たちと練習の時間や場所をあわせるのは至難の技。自分ひとりでも表現できることはないかと考え、帰国したらやりたいと思っていたDJに挑戦しようとDJスクールの門を叩いたのでした。
その後、DJ Vodkaとしてデビューし、さらに「Issyk-Kool Beat」というレーベルを立ち上げて楽曲制作も始めました。レーベル名は、真夏のイシククル湖のビーチ沿いのディスコで、爆音で曲をかけてほしいという想いを込めています。

日本では地域のイベントでコムズを演奏し、キルギスのファンを増やす


DJ Vodkaの誕生!

今後の展望ですが、キルギスの歌手とのコラボレーションもしたいですし、やはりキルギスの独立記念日に日本人アーティストとしてステージに立ちたいですね!そこに生徒たちが来てくれるという光景はよく夢で見ます(笑)。これについては既に先人もいて、演歌歌手の三田りょうさんは独立記念日に何度も日本人歌手として出演しています。Kiroroさんもキルギス人にとっては特別な存在ですし、鈴木恵理さんもキルギス映画の主題歌を歌っていますので、決して不可能ではないと思っています。

あとキルギスでは、日本の理学療法士、作業療法士の専門家やボランティアが、障がい者の方々と一緒にイシククル湖を10日間かけて歩く「ウォーカソン」をはじめ、様々な施設で障がい者支援をしてきた実績があります。
私も今、Vol.11の冒頭でも触れたように、川崎市のNPO法人ダンスラボラトリーとともに「障がいがあってもなくても楽しくダンスする」ための活動を行なっています。障がいの有無、年齢、国籍、性別を超えて、すべてを個性として活かすインクルーシブなダンスパフォーマンスを世の中に広めていきたいと考えており、この活動でもキルギスと日本をつなぐことができたらいいなと思っています。このように、キルギスでの2年間の活動は今でも私の可能性を広げてくれています。あの2年間は人生でかけがえのない時間であり、キルギスは私の第二の故郷です!


家から学校に通うときの何気ない風景が好き(最後の登校日に撮影)

いかがでしたか?
このコラムを通じてキルギスを知っていただければ嬉しいです。
最近は日本企業もキルギスに進出していますし、日本人が経営する旅行会社やレストランも増えました。それくらい身近な国になってきていますから、ぜひ実際に訪れてキルギスを体験してみてください!
毎回このコラムを読んでいただきどうもありがとうございました!
(今後面白いテーマが見つかれば単発で書くかもしれませんが)


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