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アフリカで出合う偶然 #2 時間を味わう

1年は12か月という一つの暦の中で生きていた。だからエチオピアの空港で、二つの異なる日付が並んでいるのを見たときに混乱した。カサブランカからドバイを経由して飛ぶというルートによって24時間ほぼ朝を過ごしていたために、頭が働かなかったのだろうか。それぞれのカレンダーを前にぼんやりしている自分を見た空港スタッフが、その一つはエチオピア暦だと教えてくれた。

エチオピアではグレゴリオ暦(西暦)とは別の暦も使う。日数は西暦と同じで1年が365日、閏年には366日であるものの、年月の数え方が違う。ひと月を30日と数える月が12か月、残りの5日(閏年は6日)を1か月とみなすので、1年は13か月で構成されている。

その上、西暦とは暦に7年の差が生じている。ローマ教会とエチオピア正教会のキリスト誕生年の解釈が違うためだという(注1)。さらにグレゴリオ暦の9月11日にあたる日が1年の始まりだ。新しい年は、世界中で同じように訪れるわけではない。

市内で宿を決め、荷物を置いて滞在分の水や食料を買いに出かけた。車が走る大通りを歩いていく。道沿いには靴や木彫りの置物など様々な品を置く露店から、高級なホテルまでが立ち並ぶ。どの店や建物にもあるアムハラ語の看板が目に留まる。

エチオピアではアムハラ文字(ゲエズ文字)が使われている。これはサブ・サハラのアフリカ諸国の中で唯一の文字だ。この独特な文字は、まるで踊る人形のような形をしていて不思議な魅力を感じる。エチオピアを誇り高き国にしているのは、この文字に依るところがあるだろう。

舗装された道路だったので歩きにくいことはなかったが、なぜか少しばかり息がきれる。看板をはじめあちこち気をとられながら進んでいたからかと思ったが、数十分歩きまわって、そもそもこの街が標高約2400mであることにやっと気がついた。空港から市内中心部まで来た時はタクシーだったので、その高さをあまり感じていなかったのだ。

高地にある首都アジスアベバは、半袖で風が心地よいくらいで、過ごしやすい。少し、肌寒いくらいだと、街行く人々も首元に布を巻く。時に静けさを感じるのは、白い民族衣装を着た人々が颯爽と歩き、柔らかなその布が風に揺れながらすぎていく様が、凛とした空気をつくっているからかもしれない。

公用語はアムハラ語だが(注2)、道すがら声をかけてきた若者は、流暢な英語を話した。どこから来たのか、何をしているのか、これから何をするのか。ひとしきり質問を重ねた後、インジェラは食べたかと聞いてきた。到着のその日だったので、まだだと答える。するとそれまでの口調が少し強く、明るくなり、ぜひ食べろと勧めてきた。

「マラソンが強いことは知っているだろう。インジェラがパワーの源なんだ。栄養もあるし、何より美味しい。ちゃんと食べてくれよ、そうでないとエチオピアに来たことにはならない。」

もちろんインジェラを食べないわけにはいかない。この主食は、テフ粉を引いて、水で溶いて薄くのばしてクレープ状に焼いたもので、野菜や豆、肉などの具材を入れて作るワットやシュロと呼ばれるソースをつけて食べる。酸味があるのは、生地を作る過程で発酵させるためだ。

ワットには、ほうれん草のような葉ものや豆を煮込んだマイルドな味もあるが、チリ・パウダーを中心とした香辛料を混ぜて作るバルバリを入れることもある。これがとても辛い。バルバリが喉にくるとつい、ビールに手が伸びる。ラベルにやはりアムハラ語が踊る。

アムハラ語で「見失ってしまう」という意味を持つテフは、その名の通りイネ科では最小の穀物である。栄養価は高いと言われているが、まとまった量を収穫することはどれくらいの労力が必要だろう。みんなのマラソンパワーのためにはこれだけでは足りていないかもしれない。それでもエチオピアの人々はテフを育て、インジェラを囲んだ食事を大切にしてきたのだろう。若者は嬉しそうに力説する。「みんなで食べるからいいんだ。だから力になる。」

インジェラはどこへ行っても食すことができた。発酵の程度やワットの合わせ方で味が変わるので、その土地や作り手を感じられる。エチオピアへ行きたい、という言葉には、あちこちのインジェラを食べたいという言葉が重なる。

インジェラを食し、やっとエチオピアへ来た感覚を得て宿に戻ると、夕陽の差すベランダで旅人がギターを弾いていた。手にしていたギターは、旅するギターなのだそうだ。旅の途中で受け取り、好きなだけ一緒にいて、気が向いたときに次の旅人に渡す。ギターにはこれまで手にしたのであろう3-4人のサインが記されていた。

聞けば、彼はそのギターと共にイエメンから来たという。イエメンといえば、エチオピアのカファ地方を発祥とするコーヒー豆が、14世紀頃に初めて紅海を渡って辿り着いた先だ。モカ港から世界中に出荷されたため、エチオピアコーヒーもモカと呼ぶようになった。彼は、まるでそのコーヒーの道を逆にたどってきたみたいでしょう、と笑った。

カファ州やシダモをはじめとして、エチオピア南部にはコーヒー生産地が広がる。そして海外へ送り出すだけではなく、人々も日常生活のなかでゆったりとコーヒーを飲む。それはずっと変わらない。

アジスアベバから車で南へ2時間ほど進むと、オロミア州都アダマに着く。あっという間に標高数百mまで下り、気候が変わる。半乾燥地帯が広がり、強い日差しが降り注ぎ、顔に腕に暑さをチリリと感じる。

訪ねていた民家で、コーヒーセレモニーに招いていただいた。明るい陽のなか、お手伝いの女の子がよく洗った生豆を煎り始める。次第にフライパンから香ばしい香りが漂い、体を駆け巡る。杵でつぶされて粉状になったコーヒーは、火にかけられたジャバナのなかで揺れる。気持ちの高ぶり表すように、ふくふくと。煮立たせてから粉が沈むまで落ち着かせ、いよいよ注がれる。濃くて香ばしくて、でもすっきりしている。たっぷりと時間を含んだ、贅沢な味だ。

インジェラもコーヒーも、その地の人々の一部だ。海を渡ったその先に、自分が知る時間とは違う日々があることを、一つひとつの味に感じる。

アジスアベバに戻ると、あの旅人は、先に宿を出ていた。彼のサインが記されたギターと、一滴の茶色のあとがついたメモが置いてあった。最後に、ベランダで濃いコーヒーを飲んでから出かけていったのだろう。

注1:日本エチオピア協会 http://www.ethiasso.jp/topics8.html
注2:エチオピアは80以上の民族がおり言葉も多様だが、アムハラ語は事実上全土で使われているため、公用語とした。

写真:
  • 「アジスアベバ市内」著者撮影
  • 「インジェラ」著者撮影
  • 「南部地方」著者撮影

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