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東方正教会 ― 知られざるキリスト教文化圏
Ⅳ 正教会の「かたち」と文化 ― 2. イコン


写真1:イコン『主の降誕』

正教会を特徴づけるものの一つがイコンです。イコンはイエスや聖人、あるいは聖書の記述や祭に関する場面などを描いた画像であり、日本正教会では聖像と訳しています。正教徒は聖堂の中ではもちろんのこと、家庭においてもイコンの前で祈ることが習慣になっています。(写真1)
イコンとはもともと、ギリシャ語で「イメージ」「像」などを意味する普通名詞です。このことが示すように、イコンは飾って眺めるための美術品ではなく、神学的に伝えたいイメージを視覚的に表現した信仰上のツールということができます。

よく、「キリスト教は偶像崇拝を禁じているはずなのに、こんな絵などを教会に飾っておかしいではないか。正教会は本当にキリスト教なのか」というご指摘を受けるのですが、それは残念ながらキリスト教会の歴史をご存じでないとしか言うことができません。

ローマ帝国による迫害時代、礼拝所であるカタコンベの壁に絵を描くことが始まりました。これがイコンの起源です。4世紀のキリスト教解禁後、イコンはさらに板にテンペラで描いたり、モザイクにしたりするなど、画法やサイズなどのバリエーションが拡大していきました。

イコンは偶像か否かという論争は常にありましたが、それが最も拡大したのが8世紀のビザンチン帝国においてです。当時の皇帝がイコンを偶像とみなし、禁止令を出したことから、イコン破壊派とイコン擁護派の間で数十年間にわたって国を二分する争乱となりました。これをイコノクラスム(聖像破壊論争)といいます。

これを決着させるため、787年に第七回全地公会が開催され、神学上の検証が行われた結果、「イコンに対する尊敬はその原像に帰す」、つまりイコンは偶像ではないという結論に至りました。つまりイコンを大切にし、その前で祈るのは、そこに描かれているイエスや聖人たちを敬っているからであって、イコンそのものを神として拝んでいるのではない、ということです。この決議を正統な教義として、正教会は現在も受け継いでいるわけです。

もちろん、いくら偶像でないとはいえ、描き手の側が際限なく芸術表現としての自己主張をしたら本末転倒です。よって正教会においてイコンと認められるのは絵画に限定され、彫像は除外されます(浮彫りのような平面的なものは例外)。また、描き手の自己主張を退けるため、画家はイコンに署名しないのが普通です。さらに、イコンに画家の創作が加わることによって世俗的に堕していかないよう、イコンに描かれるデザインは教会が認証したものに限られ、それをお手本にして描き手が模写することになっています。

しかしながら、模写するにしても人間が描いている以上、時代や地域によって一定の画風が生まれます。世界の正教会の聖堂を訪ねると、そこに描かれたイコンの画風の違いを感じることができ、それが旅の楽しみともなります。イコンは信仰上のツールであって美術品ではないと書きましたが、その一方でイコンに囲まれることによって「聖なるものを理屈抜きに体感する」効果をもたらしているのも事実です。百聞は一見に如かずということで、私が海外で撮影したイコンが描かれた聖堂の写真を実例としてご紹介します(写真2~4。年代はイコンの完成時期)。


写真2:ストゥデニツァ修道院(セルビア、14世紀)


写真3:ゲラティ修道院(ジョージア、17世紀)


写真4:シナイア修道院(ルーマニア、19世紀)

写真:
  • 写真1:イコン『主の降誕』、横浜ハリストス正教会所蔵
  • 写真2:ストゥデニツァ修道院(セルビア、14世紀)、筆者撮影
  • 写真3:ゲラティ修道院(ジョージア、17世紀)、筆者撮影
  • 写真4:シナイア修道院(ルーマニア、19世紀)、筆者撮影
参考文献:
高橋保行『ギリシャ正教』講談社学術文庫

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