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Relationship ― ミャンマーと日本の『時間軸』を辿る ~ミャンマーとの友好関係の構築・・・ビルマ・ミャンマー軍事政権期その6

ミャンマーへの対外圧力

ミャンマーは、1988年の「8888運動」以降、ビルマ式社会主義を捨て、地域との結びつきを強め、1997年にASEANのメンバーとなりました。しかし正直に言えば、1980年代後半から2000年代前半まではミャンマーにとって苦難と批難の時期といえるでしょう。では当時周辺国との関係はどのような立ち位置だったのでしょうか、改めて見ていきたいと思います。

まず、隣国タイとの関係は、一般には協力的であり、経済的結びつきも強くなり始めていました。ただ、国境紛争や麻薬問題を巡って、長きに渡って衝突してきた時期でもありました。中国やインドとの関係についても、対立していた時期がありましたが親密な関係になっている途上で、特に中国は、急速にミャンマーの重要な相手となり、軍事部門では武器の供給国へとなっていきます。


写真1:軟禁中演説を行うアウン・サン・スー・チー

その一方で、アメリカとの関係は疎遠になります。
アメリカは1988年のソウ・マウン軍事政権誕生、その後の総選挙結果拒否の状況を見て、大規模な対ミャンマー経済制裁を実施し、1997年にはミャンマーに対する新規の投資を禁止、2003年にはミャンマーからの輸入を完全に禁止します。

更に2007年タン・シュエ政権が行った民主化デモ弾圧を受けて制裁を強化し、ミャンマー向けの資産を凍結、国連の安全保障理事会に働きかけてミャンマー軍事政権を非難する議長声明を発表。欧米諸国が制裁に同調する中で2008年7月にはミャンマー制裁法(Junta’s Anti-Democratic Efforts Act2008、通称JADE法)を成立させます。

ここまで来てしまうと関係改善というのは難しくなりますし、おそらく「自由」・「民主主義」といった米国をはじめとする多くの諸外国が持っていた「価値観」に逆行する国家体制を許すわけにはいかなかったのだろうと思います。

日本の対ミャンマー外交

では、日本との関係はどうなっていたのでしょうか。
1988年の軍事クーデター後、日本はこの軍事政権をいち早く承認しています。そして、軍事政権として誕生したミャンマー政府に対して「対話」によって民主化を求める外交方針を採用し、欧米とは一味違ったニ国間関係を築こうと奔走します。
ちなみにこの時日本は「ミャンマー」の呼称を承認したのですが、アメリカやイギリスは認めず旧来の「ビルマ」と呼称することになります。

当時の外交資料などを調べてみると、日本の対ミャンマー政策はこのようになっていました。

『日本政府としては、民主化及び人権状況の改善を促すため、ミャンマーを孤立化させるのではなく、現政権とスー・チー女史を含む民主化勢力との関係を維持し、双方に対し粘り強く働きかけていく外交方針であり、種々の機会を活用し、そのような考え方をミャンマー側に伝えてゆく。』

どちらにも偏らず、中庸を意識して欧米が望む人権状況や政治体制に促していこうという、いかにも日本らしいスタンスで臨んでいくこととなり、ミャンマーとの関係はやや不安定ではあるものの、途切れることを回避して友好関係が続いていきます。

欧米に配慮した日本のODA

欧米の厳しい目もありましたが、日本は同じアジアの友好国としてミャンマーの支援を継続します。しかしながらすべての支援を行うのではなく、かなり制限されたODAを行っていきました。

2003年5月30日にスー・チー女史がミャンマー政府当局に軟禁された状況をかんがみて、日本は新規の経済協力は基本的に停止するが、①緊急性が高く、真に人道的な案件、②民主化・経済構造改革に資する人材育成のための案件、③CLMV諸国(ASEAN新規加盟国であるカンボジア、ラオス、ミャンマー及びベトナム)もしくはASEAN全体を対象とした案件については、ミャンマーの政治情勢を注意深く見守りつつ、案件内容を慎重に吟味した上で順次実施することとしました。


写真2:バラク・オバマ

しかし、2007年9月にまた大規模なデモが発生し、これに対する政府の弾圧が始まった結果、2007年10月には従来より限定して行っている案件の一層の絞り込みを行うこととなり、支援はますます細くなってしまいました。
その結果、戦中から戦後まもなくにかけての華々しい日本との友好関係はすっかり影をひそめてしまい、こうして欧米や日本が躊躇する間に、陸続きの中国からの支援が巨大なものになっていきます。

その一方でミャンマーの政治体制にも変化の兆しが見え始めます。
世界情勢の風や自国の疲弊を肌に感じ、大きく体制を転換させなければならない、そして敵対するスー・チー女史との和解をしなければならないと決断するリーダーが登場して来ます。折しもアメリカではバラク・オバマ大統領が誕生、世界情勢が新たな動きを見せ始めるそのような時期に差し掛かっていきます。

(続く)

資料:

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