World Map Americas

Our World through Music~
甘い音と巡る世界の響き~Vol.31

複数の顔を持つ男

今回は、日本にも縁が深い作曲家をご紹介します。セルゲイ・プロコフィエフ。ロシア革命から大戦を経験したロシアの作曲家でその音楽は不思議と日本人にも馴染み深いものです。動画を交えてお楽しみください。

プロコフィエフ(1891~1953)は現在のウクライナで生まれました。他の兄弟はみな成長を待たずに死んでしまったため、両親の愛情を一身に受けて育ちます。幼い頃から音楽に才能を発揮したことは芸術文化を愛する両親を喜ばせ、5歳のときには作曲を始めます。

では、ここで彼の有名な作品をお聴きください。
『ロメオとジュリエット』第2組曲:モンタギュー家とキャピュレット家

これは聴いたことがある!という方もいらっしゃるのではないでしょうか。一見(一聴?)したところ、いかにもクラシック音楽という印象から外れた面白い作品ですね。表題にある通り「ロメオとジュリエット」のバレエ音楽として書かれました。ロミオとジュリエットはバレエ作品にもなっており、現在でも大変人気が高い演目です。

プロコフィエフは、10歳になる頃には自作のオペラを親戚や隣人たちの前で上演していました。そこには子供らしい不完全さもあったことでしょうが、周囲の大人たちは彼の未来に大きく期待し、数々の知己を得、優秀な教師により育てられました。彼の若い頃の教師であった作曲家グリエールの作品をお聴きください。

サンクトペテルブルク音楽院卒業後訪れたロンドンで、彼は歴史的な出会いを果たします。お相手は、ロシアの舞台興行師ディアギレフ。「バレエ・リュス」を立ち上げ、パリで数々の舞台を上演した人物です。今までの連載でご紹介したラヴェルやドビュッシーのバレエ作品やクラシック史上最大の騒動の一つでもあるストラヴィンスキーの「春の祭典」上演など、その実績は枚挙に暇がありません。舞台芸術や衣装をピカソ、ミロ、マリー・ローランサン、マティス、ジャン・コクトーが担当し、あのココ・シャネルも魅了したという凄腕プロデューサーです。プロコフィエフはこの出会いからバレエ作品を書き始めました。

この頃既にロシア帝国は危険な状態となっており、亡命を決意した時期の作品をお聴きください。「古典交響曲」。モーツァルトやハイドンなどのオーソドックスな古典的クラシック音楽を模して書かれた作品です。

その後アメリカ、そしてフランスを拠点として精力的に活動しました。彼がとてつもなくピアノ演奏にも卓越していたことがわかる作品をお聴きください。
ピアノ協奏曲第3番、古い録音ですが本人による演奏です。

では、冒頭にご紹介したバレエ「ロメオとジュリエット」をご覧ください。まずは、音楽だけで美しい序曲を。この音源には全曲入っており2時間以上かかる長大な作品です。

演奏のキーロフオーケストラとは現マリンスキーオーケストラのことで、プロコフィエフがいたサンクトペテルブルクにあるオーケストラです。

そして、有名なバルコニーのシーン。月明かりのもと初々しい喜びを全身全霊で表現するこのバレエは、音楽と共にこれ以上詩情という言葉が当てはまる作品を私は知りません。

その後、ロシアからの作曲依頼から祖国との関係が変わり1936年完全に帰国します。そしてこのあとはほとんど国外には出ませんでした。

それからも「シンデレラ」、ロシアの民話「石の花」などバレエ曲の他、オーケストラ曲、ピアノ作品、室内楽曲など多くの作品を書き、晩年にはトルストイの「戦争と平和」をオペラ化します。実は帰国後に階段から落ち頭部を強打したことから徐々に病身となっていき、最期は脳出血で亡くなりました。それにしても信じられないくらい驚異的な仕事量です。

彼のあまり知られていない面についてもお伝えしておきましょう。
舞台芸術を愛する人だったからか短編小説も書いており、現在も「プロコフィエフ短編集」として出版されています。ユニークでシニカルな世界の小説は、彼の音楽の雰囲気そのもの。
またこの短編集には、彼が亡命の際に日本経由でアメリカに向かったことがわかる日記もおさめられており、横浜グランドホテルでの滞在や日本でのコンサートについても書かれています。気になる日本の評価は「悪くないが、サーヴィスはやりすぎ」とのことです。

では最後に、私が一番好きな彼の音楽をお聴きください。アメリカ時代に書かれたヴァイオリン協奏曲第1番。私は初めてこの曲を聴いたとき、以前住んでいたボストンの空気を思い出しました。それが彼のアメリカ時代に書かれたということが驚きでもあります。

画像:
動画:

コメントはこちらから

メールアドレスが公開されることはありません。

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)