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GROOVY LIFE in KYRGYZ! ~キルギスで人生をグルーヴ~ Vol.3

任地チョルポン・アタへ

С Новым Годом!(新年あけましておめでとうございます)!キルギス愛に溢れる男、長谷川貴司です。
2018年は、一層音楽活動を通じてキルギスと日本の架け橋となれるよう努力していきたいと思います。そして、この連載コラムを通じて、より多くの方にキルギスという国、文化、人々に興味を持っていただけると幸いです。

さて、8月中旬に任地であるチョルポン・アタにやってきました。この街は「中央アジアの真珠」とも呼ばれるイシククル湖(熱い湖という意味)を擁するキルギス最大のリゾート地です。イシククル湖については、最近はインターネットに情報がたくさんありますので、私が説明するまでもないですが、透明度が世界第2位とか、その昔、玄奨三蔵が記した書物「大唐西域記」に、龍が棲む湖として紹介されているとか、湖底にオアシス都市の遺跡が沈んでいるとか、ソ連時代は外国人の立ち入りが禁止され、存在を隠された幻の湖だったとか、もう、ロマン大爆発ですね。特にシルクロードにロマンを感じる日本人にとって、このイシククル湖付近を通るシルクロード天山北路を経由して、日本に様々な文化が入ってきたと想像するだけで、興奮しちゃうのではないでしょうか。


ロマン溢れるイシククル湖、遠くに天山山脈も見える

チョルポン・アタは避暑地だけあって、本当に夏は涼しく、そして、冬は暖かいです。私が滞在した2009-2011年には雪はほとんど降りませんでしたし、氷点下になることも滅多になかったです(首都は軽くマイナス20°Cまでいきます)。
夏に関して言えば、汗をかきません。清潔感の塊である私が、最終的には同じ服どころか、同じ下着で5日間過ごせるようになってしまいました(笑)。さすがに毎日体は洗わないと気が済まないので、そうしていましたが、体が汚れないので、服は着替えなくても全く問題ないレベルでした。現地の方も週に1回体をさっと洗い流す程度の人が多かったと思います。つまりここで何が言いたいかと言いますと、チョルポン・アタを旅行するなら替えの衣類は持っていかなくてもOKということです!

ただ、チョルポン・アタは標高1,600mに位置するため、女性の方は紫外線に注意したほうがいいかもしれません。日本人女性の紫外線嫌いは世界最高峰と聞いていますので、そこは対策を考えた方がいいでしょう。そしてもし、チョルポン・アタで日焼け重装備の女性を見かけたら、私の経験上、おそらくそれは高い確率で日本人女性(現地の人はあまり気にしないので)。元気よく「こんにちは」と声をかけてみましょう!


チョルポン・アタにはリゾートホテルも多い

チョルポン・アタでの生活スタート

チョルポン・アタ到着後、まずは活動先となるオスモノフ中等学校にご挨拶。送り届けてくれたJICAスタッフが公用車で走り去るのを見て、一気に不安になったのを覚えています。リゾート地とは言え、知り合いのまったくいない街。今でこそ日本人ボランティアが複数名活動しており、インターネット環境も整備されていますが、2009年当時は私がこの街の派遣第1号であったため、頼れる仲間が近くにおらず、インターネットも永遠に接続できる気がしないダイヤルアップ回線のみでした。

オスモノフ中等学校との調整により、新学期は9月からなので、学校がはじまるまでは生活環境を整えることになりました。提供された住まいは、イシククル湖が見えるレイクビューの贅沢な物件で、1人で暮らすにはもったいないくらいの広い2LDKでした。ただ、壊れているものが多く、お湯も出ない状況。キルギスでは家具類は大家さんが整備することになっているので、大家さんに問い合わせた結果、数日後に家具や電気温水器を持って来てくれることになりました。そのためそれまでは日本から持ってきたジブリ映画のDVDを見て寂しさを紛らわせて過ごしました。

そして数日後、ついに大家さんが現れました。家族・親族を大量に引き連れて。ダブルベッドを小さな車の屋根に乗せて(笑)。そこからこの大家さん一族との共同生活&部屋の大改修が始まり、寝室、台所、テレビ、洗濯機、電気温水器が豪快に整備されていきました。ここではテレビのアンテナも自分で組み立て、屋上までよじ登り設置しなくてはなりませんが、それも大家さんがやってくれました。なんでもDIYしてしまうキルギス人はたくましい!ちなみに、シャワールームに設置してもらった電気温水器は、その後、すぐに故障。結局2年間お湯なしで過ごすことになるのでした(笑)。


TVアンテナ組立て

2年間を過ごした我が家

嵐のように大屋さん一族が去った後、今度は死活問題である料理に取り組みました。大学生の時から一人暮らしをしていましたが、ほぼコンビニ弁当にお世話になるほど自炊経験がありませんでした。チョルポン・アタにコンビニ弁当なんて当然ありません。そこで、JICAボランティアの先輩を召喚し、生き残るための自炊を習いました。そこで習った3パターンの料理を2年間ローテーションして、体調を崩すことなく生き抜くことができました♪
生活基盤を構築したところで8月も終わり、いよいよオスモノフ中等学校での仕事が始まるのでした。


オスモノフ中等学校のPC教室

今回はここまでです。次回からはいよいよオスモノフ中等学校での仕事について書きたいと思います。お楽しみに!


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