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GROOVY LIFE in KYRGYZ! ~キルギスで人生をグルーヴ~ Vol.2

キルギス入国までの道のり

Саламатсыздарбы(こんにちは)!キルギス愛に溢れる男、長谷川貴司です。今回は敢えてキルギス語で挨拶してみました(笑)。この連載コラムを通じて、より多くの方にキルギスという国、文化、人々に興味を持っていただけると幸いです。

さて、2009年6月23日、ついにシルクロードの国、キルギスの大地を踏むことができました(祝)。青年海外協力隊に応募したのが2008年5月ですから、思い立ってから入国するまでに1年を要したことになります。早速、お待ちかねのキルギス話に入りたいところですが、まず最初に、入国までの道のりについて触れておきたいと思います。

事業部長を説得し、キルギス派遣が確定したとはいえ、いきなり仕事をほっぽり投げて行くのは配慮がないというもの。そこで、2008年度いっぱいは、事業部長に課せられた派遣条件である受注10件獲得のために奔走しました。そして、無事そのミッションをクリアし、職場を円満に離脱。ただし、「よし、これでキルギスだ!」と思っても、青年海外協力隊の場合、そうはいきません。技術補完研修を2週間、JICA駒ヶ根訓練所での派遣前訓練を3ヶ月間受け、やっとキルギスに飛び立つことができるのです。

技術補完研修というのは、ITに関係する職種(コンピュータ技術、PCインストラクター)向けに用意された実践研修のことで、PCリペア(修理技術)や、サーバ構築等を習得します。派遣国によっては過酷な条件(砂嵐や瞬電等)でPCを使うため、故障がつきものです。保守サービスなんてものは当然ないので、自分で修理できなければなりません。PCリペアはとてもためになる研修で、その後、キルギスでも神の手のごとく崇められるのでした。


IT関連職種向けの技術補完研修

駒ヶ根訓練所での生活は、それだけで連載コラムが書けるほど、内容が恋、いや、濃い研修であり、いずれTVドラマ化されるでしょう(冗)。大事なことだけ説明すると、約3ヶ月間、朝早くから夜遅くまで語学訓練を受けます。この期間に派遣先の活動で使用する言語を勉強し、基本的なコミュニケーションが可能なレベルまで向上させます。つまり、語学は駒ヶ根訓練所で死ぬほど勉強できますから、海外に対して熱い想いはあるが、語学は不安だぜって方はぜひチャレンジされると良いと思います!

ちなみに、キルギス隊員は、活動地域、活動内容によって、国家語のキルギス語か公用語のロシア語に別れます。私はロシア語だったのですが、朝から晩までロシア語漬けの訓練生活!最高でしたね!


JICA駒ヶ根訓練所にて同期隊員と

首都ビシュケクでの生活

前置きはこれくらいにして、キルギスの話に戻しましょう。
めでたく派遣国に到着しても、すぐに仕事が始まるわけではありません。約1ヶ月間は、現地の生活に慣れるために、首都でホームステイをしながら、関係機関への挨拶まわり、語学訓練、活動内容のブリーフィングを受けたりします。

首都ビシュケクはとても緑に溢れていて、道を歩いているとリスが横切ったりするような綺麗な街です。そして、日本で生活するのとあまり変わらないくらいに便利です。これからキルギスを旅行される方は、だいたいのものは現地調達できますのでご安心ください。街の雰囲気は、ロシア(旧ソ連)的であり、アジア的であり、ヨーロッパ的でもあり、いままで訪れたどの街とも異なる光景が広がっていて、シルクロードの国であることを実感しました。

そうそう、キルギスの料理はとてもおいしいですよ!ただし、人によってはお腹がぶっ壊れますので注意が必要です。私は到着直後にお腹が炸裂し、腸がキルギス仕様に再構築されるまで1ヶ月かかりました。トイレットペーパーをカバンに入れて持ち歩くサバイバル技術はこの時期に習得しましたね。ウォッシュレット付きトイレしか認めなかった男が、ワイルドになった瞬間です。
駒ヶ根訓練所では、毎日大量かつ栄養満点の食事が提供されます。これは、派遣国でのストレスや病気等で痩せてしまうことに耐えられるよう献立設計されているのだと思います。それを実証するかのように、私はまんまるくなってキルギスに来ましたが、最初の1ヶ月で体重が10kg減り、努力せずスリムなバディを手に入れることができたのでした(笑)。


生活には困らない首都の街並み

任地チョルポン・アタへ出発!

ダイエットが成功したところで、いよいよ活動先に赴任する時がやってきました。私が赴任するのは、ビシュケクから東へ約180km、シルクロードを車で4時間飛ばしたところに位置するイシククル州の「チョルポン・アタ」という街です。「チョルポン・アタ」でググると、楽しげな写真がたくさんでてきますよね。そうなんです!チョルポン・アタは「中央アジアの真珠」と呼ばれる真っ青な湖、「イシククル」の湖畔に栄える一大観光リゾート地なのです。

この街にある「オスモノフ中等学校」。私はここで、ITの導入、運用、人材育成を担当することになります。「オス」と「モノノフ」を組み合わせたような学校名から、「コワモテばかりの男子校だったらどうしよう」という不安な気持ちや、「帰国する頃にはきっとロシア語ペラペラだぜ」という将来への期待が入り混じった中、JICA車両に乗り込み、首都を後にしたのでした。


現地日本人ボランティアの守護神:JICA公用車

今回はここまでです。次回からいよいよ私の第二の故郷であるチョルポン・アタでの生活について書いていきます。お楽しみに!


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