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GROOVY LIFE in KYRGYZ! ~キルギスで人生をグルーヴ~ Vol.1

ご挨拶

Здравствуйте(こんにちは)!キルギス愛に溢れる男、長谷川貴司です。といいながら挨拶がキルギス語ではなくロシア語なのはあまり気にしないでください(笑)。このキルギスへの熱い想いを伝えることで、キルギスや、中央アジアの国々に興味を持ってくれる方がひとりでも増えることを願って連載を始めました。

なぜ、私はキルギスをこんなにも好きなのか?
私は2年間キルギスで生活をしましたが、キルギス語は挨拶程度しか話せません。現地で乗馬やキルギス料理を極めたわけでもありませんし、語れるほど各地を旅したわけでもありません。
それはキルギス、そして、現地の仲間たちが私の生き方を変えてくれたからです。だから、今後の人生はキルギスにもらった愛を、愛で倍返しすると決めたのです。

現在私は、NECでAI(人工知能)を活用した事業開発を担当する会社員である一方で、週末はDJ、Electronic Music Producerとして中央アジアの民族楽器とダンスミュージックを融合する音楽制作に取り組んでいます。(制作曲は以下のリンクからアクセスできますので是非聴いてもらえると嬉しいです!)

近い将来の夢として、仕事ではキルギス政府が進めるDX(デジタル・トランスフォーメーション)に向けて、ICT技術で発展に貢献したいですし、大好きな音楽でも、キルギスと日本の架け橋となれるようがんばっているところです。目標はキルギスの独立記念式典でDJプレイすることです。独立記念日の8月31日はオファーに備えて毎年空けています(笑)。

そんなわけで、本連載では、私とキルギスとの出会い、キルギスでの生活、今後の展望について書きたいと思います。そんな私の体験を通じてキルギスという国を知ってもらえると幸いです。尚、キルギスの概要紹介は割愛します。最近はインターネットに情報が盛りだくさんですので、ググってください!(参考ページ:キルギス基本情報

キルギスとの出会い

「海外を飛び回る仕事に就きたい」と夢見て、世界に誇る技術を持つNECに入社しましたが、入社した2003年頃は海外勤務なんていうチャンスはありませんでした。今は希望すればチャンスをもらえますが、当時は「海外?急になに言ってるの?」という雰囲気でした。悶々としながらも、何か将来に備えて武器を持とうと思い、ロシア語の勉強を始めました。将来ロシア、CIS諸国向けビジネスが伸びる予感がしていたからです。(そしてその読みは当たっていた!)

そんなある日のこと、なかなか海外で仕事をするチャンスがないと嘆いた私に、ロシア語の先生(ロシア出身のラビヤさん)が言いました。「道は自分でつくりなさい。JICAという手段もあるわよ!」と。

「JICAって何?」

今思えば、ロシアの方にJICAを教えてもらったというのがすごい。先生は官公庁でもロシア語を教えていたので、政府系機関の知識が豊富でした。早速、家でJICAについて調査開始。
「なに、青年海外協力隊派遣事業をやっているのか。それは聞いたことあるな。でも、アフリカで学校つくったり、井戸掘ったりするやつだよね?」と、思いながら調査を進めて行くと、協力隊はイメージとは違い、様々な国へ派遣され、多様な職種が用意されていることがわかりました。

そして、協力隊募集要項でとんでもない発見をしてしまいました。

「派遣国:キルギス、 言語:ロシア語、 職種:PCインストラクター」

NECで働き、ロシア語をやっている自分のための募集だと確信。翌日には応募書類を書き上げ、JICAに郵送していました。当時、応募書類には希望の派遣国を第3希望まで書けましたが、第1希望のキルギスで一点突破、面接試験でもキルギスにしか行かないと伝えました。なにより衝撃的だったのは、NECには現職参加という人事制度があったことです。事業部長の承認があれば、会社を辞めることなく2年間業務を離れ、青年海外協力隊として海外で活動することが可能だったのです。


人生を変えてくれた一枚の紙

いざキルギスへ!

現職参加が可能だとわかっていても、事業部長の承認をもらうのは怖かったです。今は、多様性が重要視されていますし、青年海外協力隊に参加することに会社としての理解はありますが、2008年当時は禁じ手という雰囲気があり、同僚にもなかなか話しづらいことでした。承認がもらえない場合は、退職する覚悟で面談に臨みましたが、案の定、事業部長に2時間くらい絞られました。

「本当に自己中心的な奴だな。自分のことしか考えていないじゃないか」
「でも、自分が本当にやりたいことを目指したいので認めてください。辞めてでも行きますよ!」

そして言われた言葉、
「お前自身のために行くんじゃない、キルギスのために行ってこい!」

目が覚める言葉と共に承認をもらえたのでした。この事業部長の言葉は、現地で活動する際によく思い返しました。
実は派遣の日までの半年間、私が浮かれて仕事を疎かにしないように、ある商品を10件受注することが派遣決定条件として課されました。おそらく、受注しなくても行かせてくれたと思いますが、無事10件受注し、晴れてキルギス行きが決まったのでした。

そして、2009年6月。マナス国際空港に降り立ち、ついにシルクロードの国キルギスに足を踏み入れました!
ちなみに、ここから7年後の2016年に、NECがこの空港の航空保安システム(航空機の安全な飛行・着陸進入を支援するシステム)を受注することになります♪私は直接携わってはいないですが、とても嬉しいニュースです。


2009.6.23 入国直後のマナス国際空港にて

さて、ここからキルギスでの濃密な生活がはじまりますが、今回はここまでです!
次回からキルギスでの生活について書きたいと思います。お楽しみに!


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