World Map Myanmar に関連する記事の一覧

Relationship ― ミャンマーと日本の『時間軸』を辿る ~ミャンマー連邦共和国国家独立70周年を迎えて

歴史的節目と政治的節目 2018年1月4日、ミャンマーは国家独立70周年を迎えました。ミャンマーという国家に対する世界の見方も、近年、「最貧国」から「経済成長を期待する国」として、「軍事政権」から「民主政権」への移行加速が期待される[…]

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Relationship ― ミャンマーと日本の『時間軸』を辿る ~ミャンマーとの友好関係の構築・・・東京におけるミャンマー人の「ホームタウン」

リトルヤンゴン高田馬場 今年も1年ご愛読いただきありがとうございます。 年初に今後のミャンマーについて書いていたことを読み直してみると、「行くも地獄、戻るも地獄の国内問題」とかなり際どいタイトルをつけていたことが、本当[…]

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Relationship ― ミャンマーと日本の『時間軸』を辿る ~ミャンマーとの友好関係の構築・・・終戦期の混乱のなかで

新潟県越後湯沢 新潟県越後湯沢といえば関東圏のスキーヤーが挙って向かう地域ではありますが、この雪深い場所にもミャンマーと日本の歴史を伝える場所があります。 写真1:真言宗薬照寺 湯沢に近い六日町君沢(現在の南魚沼市[…]

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Relationship ― ミャンマーと日本の『時間軸』を辿る ~ミャンマーとの友好関係の構築・・・ビルマ戦後復興編その3

ビルマ・ミャンマーと東京銀行 本年の5月に、国内メガバンクである「三菱東京UFJ銀行」の商号が、来年4月より「三菱UFJ銀行」になるとの報道がありました。 写真1:旧東京銀行本社ビル 個人的に「東京」の商号がなくな[…]

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Relationship ― ミャンマーと日本の『時間軸』を辿る ~ミャンマーとの友好関係の構築・・・ビルマ戦後復興編その2

日緬関係波高シ 1954年11月5日、ビルマとの「平和条約」そして「経済協力協定」の調印にこぎ着け、ビルマとの戦後賠償交渉に進むこととなった日本ですが、交渉は難航に次ぐ難航でした。その平和条約交渉の妥結に向けた当時の動きをまず[…]

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Relationship ― ミャンマーと日本の『時間軸』を辿る ~ミャンマーとの友好関係の構築・・・ビルマ戦後復興編

国内情勢~戦後民族衝突の発端 1948年1月8日、ビルマが「ビルマ連邦共和国」として完全独立を宣言し、自立した国家としてその一歩を踏み出していたころ、敗戦国である日本は連合国軍総司令部(GHQ)の占領政策によって国家の主権を停止する[…]

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Relationship ― ミャンマーと日本の『時間軸』を辿る ~ミャンマーとの友好関係の構築…ビルマ再独立編

日本軍政が去った後で 写真1:武装解除、クローサー少将へ軍刀を手渡す 竹原三郎中将 今年も72回目の「あの日」が巡ってきます。 1945年8月15日、大日本帝国政府は米・英・支(中華民国)・蘇(ソ連)の発したポツ[…]

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Relationship ― 日本の『時間軸』を辿る ~東南アジア・ミャンマーと北朝鮮の関係性②

ミャンマーと北朝鮮の関係 私が研究するミャンマーは北朝鮮との国交が存在する。ミャンマーの国家経済や防衛に関して北朝鮮の役目は少なくなかった。 殊に国家防衛に関する事項においてはミャンマー国軍(当時ビルマ国軍)やこれまでの軍事政権と[…]

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Relationship ― 日本の『時間軸』を辿る ~東南アジア・ミャンマーと北朝鮮の関係性①

はじめに 昨今掻き乱れている世界情勢地域のひとつに、東アジア地域の朝鮮半島(韓国では韓半島という)がある。 日本の敗戦後、朝鮮地域は北緯38度線以南をアメリカに、以北をソビエト連邦に占領され、両国軍の統治を受けることになった[…]

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Relationship ― ミャンマーと日本の『時間軸』を辿る ~ミャンマーとの友好関係の構築…昭和時代その8

大東亜戦争の終焉 前回は南機関の解散とバー・モウ政権誕生・ビルマ独立宣言のところまで書きました。 傀儡政権とはいえ国家独立という目標に到達したアウン・サン達でしたが、時の巡りはそんなお祝いムードを払拭してしまうほどの大きなうねり[…]

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