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アフリカで出合う偶然 #3 風に歌う声

「アフリカといえば自然だ」。この大陸の多様性を知る人からすれば、それは全てではない、と言いたくなるだろうが、素晴らしい自然が広がることはそれもまた事実だ。タンザニアは、自然のなかに人間がいることを感じさせる場所だと思う。

モンスーン気候の風でダウ船がインド洋を行き来し、貿易で栄えた港町ダルエスサラーム。国際空港を有するタンザニアの入り口である。タラップを降りてすぐに感じる湿気を含んだ空気が、海のそばであることを実感させる。旅の足は、しかし、海へ向かわず内陸へと進む。ザンジバル島でもなく、キリマンジャロを望むアルーシャでもなく、その先は内陸の町ドドマだ。

ダルエスサラームからドドマまでは、長距離バスで約6時間ほどだ。半日かかるので初めは長いように感じられたが、車内ではソーダやクラッカーが配られたので食に不安を覚えることはなく、窓外を流れる景色は緑豊かで爽快で、晴れやかな気持ちで進んだ。

ドドマへ来た理由は一つ。ドドマからさらに南に位置するチパンガ村に、知人の写真を届けに行くことだった。知人は、青年海外協力隊隊員や大学院生として、このドドマの地に5年も住んでいた。この旅の時点では、すでに日本へ帰国して結婚し、可愛い娘さんをもうけていて、タンザニアへの足は止まっていた。

そこへ私が旅に行くと伝える。託されたのは、娘さんを中心とした家族写真だ。インターネットが普及し始めていたとはいえ、都市のインターネットカフェでアクセスすることがほとんど唯一の選択肢だった頃には、町から離れた村で写真をデータで見るようなことはできない。何より、ゼロとイチでできた表情だけではなくて、今どんなことをしているか、どういう生活をしているか、いかにタンザニアを想っているか、せめて生身の人間が伝えることの方が、しっくりくるような気がした。

チパンガ村へは、ドドマで探し当てた知人の友人に頼み、ボダボダに乗せてもらい向かうことにした。持っていくものやお土産はどうしたら良いかと聞くと、蚊帳と砂糖と塩を持っていけという。村には泊まる予定だったが、宿を決めていたわけではない。どういう寝床になるかわからなかったので、せめて蚊帳を用意せよということだった。村から市場は遠いから、砂糖や塩は貴重なので、それらはお土産に良いと勧められた。生活の中の“距離“を感じる気がした。

ソーダを出してくれるようなバスも通っていない道を、休みながら5−6時間進む。窓越しに見ていた空や草原が、風とともに直に目に飛び込んでくる。見上げる空は動かない。どこまでも同じように広く青くつながっているのだ。雨季で葉が青々としているバオバブを見たときには、イメージ上のバオバブ・・・あの王子様が出会ったようなそれとは違うことに驚いたものの、バオバブがいのちのある樹であることを感じられた。

村に到着し、木陰で待っていると、ひょろりと背の高い老紳士がやってきた。老紳士。まさにその風貌だった。笑うときれいで真っ白な歯が並び、目は穏やかに優しく細くなる。襟付きのシャツにベストを着て真っ白なズボンを履いた姿は、空と土と緑の風景のなかでとても目立つ。聞けば、かつて英国委任統治領だった頃、英国人との仕事を通して身につけたという。歴史はかくも身近なところに現れる。

彼こそがこの村の長老であり、友人の父親のような存在だったムゼーだった。携えてきた写真を見せる。すると、白い歯をますます輝かせ、目をさらに細くして喜んだ。
“ムトト、ムトト(mtoto, mtoto)!!“  子どもか、そうか子どもができたのか。

老紳士が、ひとりのおじいちゃんの表情になった。人を想う気持ちに、距離はない。

ムゼーに連れられて、少し乾燥した土の上に広がるトウモロコシ畑のなかを進む。陽光が眩しい。一枚布のカンガを腰に巻いた女の子たちが水汲みのバケツを頭に乗せて通り過ぎる。ややうつむき加減に歩いているムゼーが突然大きな声を出す。何ごとかと聞いていると、どうやら遠く離れた人と話をしているらしい。声が、電波ではなく風に乗る。

木組みの小屋で休む。日陰の土壁にもたれホッと一息をついていると、目の前に子どもがやってきた。可愛らしい。村の子どもだ。こちらを珍しそうに見ている。ムズング、という。スワヒリ語で白人、という意味のことばは、外国人に向けて挨拶代わりのように投げかけられる。そう、ムズングだよ。すると、次々にその不思議そうな目が並んでいく。どこから来たのか、みるみる子どもが増えていった。さっき畑を歩いてきた時には、水汲みの女の子たちくらいしか、見かけなかったのに。

あっという間に数十人の子どもたちに囲まれた。まだやっと自分の足で立てた、というくらいの小さな子から、赤ちゃんの子守りをしながらやってくるお姉さん、お兄さんまで。子どもたちとは言葉が通じない。私はスワヒリ語が話せないし、彼らは英語を話さない。ちょっとした身振り手振りだけで、笑っているしかなかった。

その子どもたちが、列を作り、踊り出した。リンバを手にした子が音を作る。リンバは、まさにチパンガ村を含むこのタンザニア内陸地に住む、ゴゴ族の楽器だ。旅の前に見たことはあったけれど、生活の中で奏でられる楽器の格好よさは比べものにならなかった。

あぁ、こちらまで心も一緒に揺れるような、心地よく賑やかな歌が大きくなっていく。子どもたちや、その周りの大人に手を引かれ、立ち上がる。ステップとか形とか、なんでもいい。聴こえてくる音に、声に、身を任せる。さっきのちょっと緊張した愛想笑いを浮かべた子どもたちの顔は、本当に心から楽しい笑顔の輪になっていく。子どもたちの肩越しに、白い歯を思いっきり見せて笑うムゼーの姿が見えた。温かく安心する笑顔がそこにある。

小屋の周りにはトウモロコシ畑。遠くに、ヤシの木が伸びているのが見える。バオバブは、太陽の光を全て葉に当てようとするほどに思いっきり枝を広げている。そして、人も空気も畑も草木も包み込む青い青い空。歩いてきたときと変わらない自然の中で、気持ちはおおらかに豊かに広がっていくのを感じた。

写真:
  • 「チパンガ村の道」著者撮影
  • 「歌と踊りと子どもたちと」著者撮影

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